令和の野球探訪BACK NUMBER
周東佑京ら輩出の東農大オホーツク。
好選手を育む氷点下20度の“虎の穴”。
text by
高木遊Yu Takagi
photograph byYu Takagi
posted2020/03/26 20:00
ブランドン大河ら今季もプロ注目の好選手が揃う東農大北海道オホーツク。写真は新4年生のみ、2019年12月取材時のもの。
商売人の嗅覚で名将に寄り添い。
だが、大学から強化を託されたからには投げ出すことも許されず、選手獲得に文字通り東奔西走する。日本学園高校で監督を務めていたこともあり、人脈はあった。横浜隼人や聖望学園といった当時強くなっていく過程にあった高校に加え、名門中の名門である帝京やPL学園、沖縄水産にも足繁く通った。ただ行くだけでなく、覚えてもらうこと・面白がってもらうことも重要視した。
「あえてウチには絶対来ないような選手を“ください!”と言ったりね。しつこく通って覚えてもらうしかなかった。PLの中村順司監督にはゴルフ場の風呂場に先回りして背中を流して“何やってんだ”と驚かせたり、沖縄水産の栽弘義監督とは奥さんとも仲良くなったりね。わざと田舎者の世間知らずを装って飛び込んだね(笑)」
花屋で培った商売人の嗅覚が大いに生きた。のちにプロ野球選手となる徳元敏(元オリックス、楽天投手/現東練馬リトルシニア監督)、稲嶺誉(元ソフトバンク内野手/現スカウト)は沖縄水産、小斉祐輔(元ソフトバンク、楽天外野手)や樋越の後を継いで監督となった三垣勝巳はPL学園からやってきた選手だ。
環境も整備、できることを突き詰めた。
環境整備にも励み、地元行政を巻き込んだ。1997年春に全国8強入りを果たすと、現在の冬場の練習場所となる屋内施設のオホーツクドームが建設された。朝6時から全体練習を行い、授業が無い選手たちは午前中いっぱい自主練習ができるため、雪により屋外で練習できないハンデを最小限に抑えることができるようになった。
冬場はそこでトレーニングや、バントだけでの紅白戦(バスターまではOK)でバント技術やサインプレーを叩き込んだ。できないことを嘆くのではなく、できることを突き詰めた。こうしてゼロから作り上げた土台に、樋越が「網走まで来る選手はやっぱり覚悟が違いますよね」と語る選手たちのハングリー精神も相まって、多くの選手が4年間で大きな成長を遂げていくようになった。
そうすると当然チーム力も上がっていき、現在も社会人野球で活躍する野手たちや、風張蓮(ヤクルト)、玉井大翔、井口和朋(ともに日本ハム)を擁した投手陣で2014年秋に全国4強入りを果たした。