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新日本を旗揚げした猪木への逆風。
倍賞美津子が宣伝車のウグイス嬢?

posted2020/03/16 11:30

 
新日本を旗揚げした猪木への逆風。倍賞美津子が宣伝車のウグイス嬢?<Number Web> photograph by Essei Hara

新日本プロレスの旗揚げ当時は逆境の連続だった。写真は茨城県立スポーツセンターで行われた旗揚げシリーズの一戦。

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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Essei Hara

 新型コロナウイルスの感染拡大はなかなか収束が見えず、スポーツ・興行界に甚大な影響を与えている。

 プロレス興行も各地で中止が相次ぎ、最大手の新日本プロレスは、まず3月15日までの興行をすべて中止すると発表。その後、大会中止は3月21日まで延長が決定。結局、中止となった大会は、“春の最強決定トーナメント”が行われる予定だった『NEW JAPAN CUP』全戦を含む、16大会に及んだ。興行会社としては、とてつもない痛手だろう。

 また、3.3『旗揚げ記念日』大田区総合体育館大会は、内藤哲也vs.高橋ヒロムというファン注目の師弟初対決が組まれていたこともあり、中止は多くのファンを落胆させた。 

 この決定に対し新日本の木谷高明オーナーは、ツイッターで「日本全国のライブ、スポーツが中止になる中、ワールドと言うプラットフォームを持つ新日本プロレスが3月3日の創立記念日に無観客試合をやり、全国のファンに勇気と希望を与えるべきではないのか?」と投稿。一石を投じたが、ファンの間では「やはり無観客ではなく、大観衆の中で闘う二人の試合が見たい」という声が多かったこともあり、その案は取り下げられた。

 代わりに4日の後楽園ホールで、内藤哲也と高橋ヒロムが無観客のトークショーを開催。それを動画配信サービス「新日本プロレスワールド」で生配信。これが事実上、今年の「旗揚げ記念日」となった。

48年前、大田体育館での旗揚げ戦。

 苦しい現状の中で、最大限ファンによろこんでもらえるものを提供したかたちだが、では実際に今から48年前、1972年3月6日に大田区体育館で行われた、新日本プロレスの旗揚げ戦はどのようなものだったのか。実はその時もまた、今とは状況も要因もまったく違うものの、凄まじい逆風の中での船出だった。

 そもそも新日本プロレスの旗揚げは、アントニオ猪木の日本プロレス追放事件に端を発する。

【次ページ】 放漫経営に立ち上がった猪木。

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