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「藤浪再生」を託された山本昌。
37年ぶりにつながった阪神との糸。 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byKyodo News

posted2020/02/27 11:40

「藤浪再生」を託された山本昌。37年ぶりにつながった阪神との糸。<Number Web> photograph by Kyodo News

秋季キャンプで、山本昌臨時コーチ(左)から指導を受ける藤浪。制球難に苦しむ背番号19は這い上がることができるか。

青年に声かけた老スカウト。

 山本氏が日大藤沢高の3年生だった1983年秋。学校の最寄り駅で、知らないおじさんに呼び止められた。トレンチコートにベレー帽。おそるおそる返事をしたら、阪神のスカウトだと名乗った。

 田丸仁。

 プロ野球選手の経験はないが、法政二高の監督として、柴田勲を擁して甲子園春夏連覇。法大や東京オリオンズの監督を務めた人物だ。その老スカウトは「君は本当に大学に進むのか?」と聞いてきた。

「日大に進んで野球をやり、教職免許を取る」

 立てていた人生設計を、正直に答えた。ここで阪神はリストから消した。あきらめなかったのが中日だ。

黄色い糸が今、つながった。

 本人も全く知らないままでのドラフト5位指名。系列校とはいえ、進学は決まっていた。今なら大学側が態度を硬化させるところだ。しかし、プロへと飛び込んだ。大きな理由は山本氏の父親が中日ファンだったこと。そして、中日の担当スカウトだった高木時夫氏が日大OBだったこと。

 人脈を駆使し、推薦入学を辞退することの問題はクリアできた。もし山本氏の高校が法大系列だったり、阪神のスカウトも日大OBだったら、運命はどうなったかわからない。

 37年前にはつながらなかった黄色い糸が、今はつながっている。

 2月23日の広島戦で藤浪はオープン戦初登板。最速155キロを記録する一方、押し出しを含む3連続四死球で3点を失った。結果を見れば昨シーズンまでと同じだが、右打者に向かって抜ける球はなかった。

 これを部分的な前進と見るのか。効果なしと見るのか。

 藤浪が復活すれば、山本氏は阪神ファンから「救世主や!」と拝み奉られるに違いないが、結果を判断するのはまだ先のようだ。

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