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中嶋悟が語る、今宮純さんとF1。
「気持ちを許してしゃべれた」
posted2020/02/19 11:30
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Masahiko Nishikawa
追悼企画として、Number996号(2020年1月30日発売)の記事を特別に全文掲載します。
訃報を聞いたのは、年明けすぐの東京オートサロンでだったと思います。まだ公表されたかどうかもわからず話だけ聞いて、「ええっ」という感じで、半信半疑で。
最後に会ったのはいつだったか……最近は僕も直接F1に行くこともなくなったし、今宮さんと顔を合わせるのは年1、2回くらい。でも長患いをしているというような話も聞かなかったし。後で聞いたらやはり、本当に急なことだったらしいですね。70歳? まあ年齢的にはそういうこともある歳かもしれないけれど、早いよね。
出会ったのは、僕が国内でレースを始めた頃ですよね。'73年にデビューして、その頃から見てくれていたのは間違いないと思います。
'77年かな、日本のメジャーレース、当時で言うF2000にステップアップしたときにはジャーナリストとして現場にいらしていたはずです。確か、ミニクーパーか何かに乗って来ていたのを覚えてるなあ。
でもやはり'87年にF1行ってからですね。彼もフジテレビの仕事で毎戦来るようになったので、毎回必ず会うわけですから。そこから僕が'91年で引退して何年か解説をしていた頃も毎回顔を合わせていたし、つきあいは長いですよ。
ぶっちゃけて話をできる数少ない相手。
僕が『Number』さんに初めて出たのが'86年なの? F1行く直前なんだ。このときから純ちゃんが聞き手か。国内のときから来てくれていましたからね。
僕はあまりジャーナリストと親しくならないタイプなんで、自分の記事をほとんど見ないんです。でも純ちゃんには、F1デビューが決まってまたインタビューしてもらって、それから定期的に年数回、ずっと『Number』で話をしていましたよね。
ジャーナリストとは親しくならないと言ったけど、純ちゃんだけは仕事の話プラスαというか、普通にぶっちゃけて話をできる数少ない相手でした。いつも気をつかって、僕の言っていることを優しく書いてくれたしね。今ふうに言う忖度じゃないだろうけど(笑)。
時折はご飯に行くこともありましたよ。彼は酒をよく飲むんです。でもこっちは飲めないから、途中でダウンしちゃう。いつだったかなあ、F1に行った後だったか、1回だけ僕の自宅に奥さんの雅子さんと遊びに来て。よく覚えているのが、僕も僕の女房も飲めないんだけど、純ちゃんも奥さんも飲むでしょ。夜中になって、最初に寝ちゃったのが僕だった、なんてこともありました(笑)。