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中嶋悟が語る、今宮純さんとF1。
「気持ちを許してしゃべれた」
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byMasahiko Nishikawa
posted2020/02/19 11:30
1987年日本GP。今宮さん(左)が「後生だから6位に」と初めてものを頼んだのに応え、中嶋は6位入賞を果たす。
純粋なレース大好き人間だった。
34歳で、ロータスから日本人で初めてF1デビューしたわけですけど、僕としてはまず「行く」ということが大前提だった。だから行けることになった安堵感はありつつ、さてじゃあどうするの、という感じだったわけです。様子がわかって挑戦するんじゃなくて、何が起きるかわからない、冒険みたいなもんです。
でも外から見ている人は同じように思っているわけじゃないでしょう。それで勝てるかどうかなんて聞かれても、こっちは何もわかりゃしないから、図々しいことは言えない。だから、ジャーナリストにもしゃべらない。だいたい、本当はしゃべったら僕は口が悪いから、“寡黙な中嶋”で押し通していたんです(笑)。
だけど日本GPで帰ってみたら、F1ブームで世の中が賑やかになっていて。今のラグビーみたいに、流行っているから齧ってみよう、という記者の人もいるわけですよ。仕事だからいい悪いはないんだけど、とにかく来る。でも、正直そういう人にとやかく言われるのはイヤですよね。
そうすると気持ちを許してしゃべれるのは、そのジャンルをずっとやっている数人のジャーナリストだったと思います。彼と、本当に数人ですよ。純ちゃんは国内からF1とずっと追いかけて、最後までF1を追っていたから。純粋なレース大好き人間だったんでしょうね。
技術だけでなく、人間ドラマを見ていた。
'87年にフジテレビが全戦中継を始めて、純ちゃんが日本人で初めて全戦取材に行ったわけでしょう。当時は、スポーツマンも企業も、ジャーナリストも、外向きというか世界に行ってみたい人間が多かったんですよ。今はハナから行かなくてもスマホで調べればいいやと思える時代だもんね。
結局5年やって引退を決めたんですけど、理想に体がついていかない、って当時の『Number』で話してるの? 本当にそうですよ。だいたい34歳から行って、スポーツマンがそれ以上肉体的によくなるわけがない。行けただけ、冒険できただけで喜びでね。
だけどそれが挑戦になると苦しくなってくる。F1時代も後半は、いろいろわかってきて、冒険から挑戦になってくるんですよ。挑戦する以上結果に導かないといけない。でも自分の立ち位置もわかってきて、辛いもんですよ。だけど世の中はどんどんお祭りになっていっちゃうし……。
そんなことで引退して、何年かフジテレビでF1の解説をした。その頃が一番純ちゃんとよく会ってましたね。イベントも放送も一緒で。
それまでは純ちゃんがテレビでどう話しているか知らないわけですよ。初めて一緒にやって思ったのが、これは総じて言えると思うんだけど、物書きの人がああいう場に出ると話が長いんだな、と(笑)。長いというか、ちゃんと説明する。彼は根が真面目だしね。僕なんか、純ちゃんそれはもうそのくらいで、と思ったりして(笑)。
でも、彼はそこで技術みたいなことばかりじゃなく、人間ドラマを見ていた。それこそ(アイルトン・)セナが亡くなったときにも自分がベソかいちゃったような、そういうタイプでした。