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中嶋悟が語る、今宮純さんとF1。
「気持ちを許してしゃべれた」 

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Number編集部

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PROFILE

photograph byMasahiko Nishikawa

posted2020/02/19 11:30

中嶋悟が語る、今宮純さんとF1。「気持ちを許してしゃべれた」<Number Web> photograph by Masahiko Nishikawa

1987年日本GP。今宮さん(左)が「後生だから6位に」と初めてものを頼んだのに応え、中嶋は6位入賞を果たす。

立場は違えど、情熱は同じ。

 自分は走る側、彼は評論したり世に知らしめる側だったけど、自動車レースへの情熱は同じだったと思います。それに彼は一時の流行りごとじゃなくて、イーブンな考え方で伝え続けてくれた。そういう功績は大きいですよ。

 日本人は結果が出るとワーッと来て、すぐ冷めちゃうようなところがある。純ちゃんはそういう部分も平らな目で見て、偏らず、自分を入れすぎずにやってくれたよね。日本では珍しかったモータージャーナリストとしてどこにも属さず、一匹狼で最後まで頑張って。

 僕自身も、日本のレースを自分で盛り上げるためというより、ホンモノの部分、ドライバーやチームやレース内容という、いつかまた盛り上がるための土台をしっかりさせたい。それを見た人が感動してくれないと、一度お祭りをやったって、翌年はなくなっちゃうからね。

 でも僕と4つしか変わらないのに先に逝っちゃったんだねえ。やっぱりちょっと早いよね……F1のスケジュールの大変な時差に耐えて最後まで追い続けていたんだからね。あの時差ボケは体にきついだろうと思いますよ。とにかくご苦労様と言いたいです。

 もうしばらくしたら僕も行くから、天国のサーキットを下調べしといてよ。僕のことも含めて日本、世界のレースを世に知らしめ続けてくれて、本当にありがとう。

<今宮純さんと「Number」>

1949年
3月18日、神奈川県生まれ。

1974年
大学在学中からレース記事を寄稿し、この年からフリーランスに。

1976年
日本初開催のF1を取材。

1981年
全日本F2シリーズや富士GCシリーズのテレビ放送でピットレポーターを務める。

1984年
Number113号で初のモータースポーツ特集を監修。2年後、142号で中嶋悟選手にインタビュー。以降、F1特集のたびに中嶋氏にインタビューすることになる。

1987年
フジテレビが開始したF1全戦中継番組のレギュラー解説者として全戦取材を始める。『プロ野球ニュース』F1コーナーや『F1ポールポジション』といった番組にも出演。日本のF1ブームを支える。

1996年
'94年でいったん離れていたF1中継の解説に復帰。中継が衛星放送に移行後も、2019年シーズンの最後まで担当した。

1997年
Number410号より「Score Card」欄で連載を開始。'19年12月の993・994合併号まで連載を続けた。最後となった回でも「'20年もよろしく——」と記していた。

2020年
1月4日、永眠。

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