Jをめぐる冒険BACK NUMBER
下田アナの絶叫が心揺さぶる理由。
「20回言い間違えたとしても……」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2020/01/23 20:00
サッカーファンなら決定機の絶叫を聴けば、声の主がわかる。それほどまでの形を築き上げた下田恒幸アナ。偉大な実況者だ。
「選手と一緒に、言葉で、音でプレーする」
今や第一人者となった下田には、もちろん、ラ・リーガの実況依頼もある。
だが、それを断るところに、下田のこだわりがある。
「僕は“裏チーム”も大事にしたい。(レアル・)マドリー、バルサ(バルセロナ)、アトレティコ(・マドリー)といったクラブの情報はいくらでも拾えるけど、対戦相手、いわゆる“裏チーム”の情報をどこまで拾えるか。オサスナだって、レガネスだって興味のある人がいる。
そのチームのファンがひとりでも見ている限り、手は抜けないし、同業者に浅いな、とも思われたくない。現地ではこんな報道がある、っていうことまでしっかり触れるとなると、プレミア、ブンデス、セリエ、CLで精一杯かな」
もちろん、しゃべるうえでのこだわりもある。いや、これこそ最もこだわっている点で、下田をサッカー実況の第一人者たらしめているものだ。
「選手と一緒に、言葉で、音でプレーすること。チームが変われば、リズムも変わる。だから、僕の発する言葉のリズムも変わる。プレーの描写に関しても、オン・ザ・ボールのときに選手の名前をつけられるかどうか。予測してないとできないんですよ」
例えば、シャビがボールを持ったとき、アンドレス・イニエスタに出すのか、リオネル・メッシに出すのか、シャビの選択肢をパッと把握したうえで、メッシにボールが渡る前に「メッシだ!」と言わなければ、間に合わない。
「そのズレをなくし、パスワークのリズムに名前とプレー描写を乗せることができれば、視聴者は一緒に試合をしているような感覚になれるはずなんです」
例えば、トーマス・ミュラーがシュートを蹴り込む瞬間に「ミュラー! そこにいました!」と瞬時に言えるのは、展開をしっかり読み、追えている証なのだ。
たとえ20回言い間違えたとしても。
だから、言い間違いもたくさんある。サッカーファンからもよく指摘されるが、そこでの勝負をやめるつもりはない。
「20回しか描写しないアナウンサーがたまに間違えて、16回合っていたとする。正解率8割でしょ。僕はそこで60回言いたい。それで20回言い間違えたとしても、40回は起きているプレーの質と映像をリンクさせて視聴者に届けることができたわけで、僕は後者でありたいと思う。もちろん、ミスを少なくする努力はするけどね(笑)」
起こっていることを過不足なく言葉で伝え、エンターテインメントとして耳で楽しませる――。
それが、ラジオのサッカー中継に胸を躍らせた下田の実況者としての矜持だ。
「そもそも映像があるんだから、実況なんてなくても試合内容は分かる。それでもわざわざ実況をつけるわけだから、プラスαの楽しみを届けられなければ、実況を足すことの意味はないかなと」
ゴールを決めれば、億を稼いでいる選手でも子どものように喜び、サポーターは我を忘れて歓喜に沸く。それがサッカーの魅力だとすれば、言葉で、音で、その強度や濃度、空気感をしっかり表現したい。
だから、下田の実況は、ちょっとうるさいことでも有名だ。
「でもさあ、スタジアムってそもそも騒がしいところじゃない? 点が入ったときなんて特にそう。そもそも実況って『現実のありのまま』っていう意味で、うるさいものをうるさく描写しているんだから、それが嫌な人には……、ごめんなさい、って謝るしかないよね(笑)」
愛するチームを90分間鼓舞し続け、選手と一緒になって戦うサポーターの存在は、よく「12番目の選手」にたとえられる。
だとすると、音で、言葉で、ピッチ上の22人の選手たちと一緒にプレーし、観る者にプラスαの楽しみを提供する下田は、「23人目の選手」と言えるかもしれない。