プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
獣神サンダー・ライガー涙なしの引退。
「猪木の家」に30年以上住みついた男。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2020/01/11 11:30
プロレス史に刻み込まれた獣神サンダー・ライガー。現役引退後も、プロレス界の御意見番としてますますの活躍を期待したい!
「リヴァプールの風になった」
渡英していた新日本プロレスの若手レスラーであった山田恵一=フジ・ヤマダはリヴァプールのアパートを拠点にして戦っていたが、1989年春に消息を絶った。そして、マスクマンである獣神ライガー(後に獣神サンダー・ライガーに改名)が誕生する。
そのライガーに「山田はどうした?」と記者から質問が飛んだことがある。その時ライガーは「ヤマダは死んだ。リヴァプールの風になった」と答えたのだ。
ライガーになってからは他団体への移籍には興味を示さなかったが、夢と邪心をあわせ持っていた素顔の時代にはUWFや全日本プロレスにも興味を示して、心が揺れたこともあった。
それでも、素顔と獣神のマスクと合わせて36年間近く、新日本プロレスという団体に誇りをもってプロレスラーとして戦い抜いた。
そんな新日本プロレスのライガーが他団体との交流を推進したことで、歴史的なカードが実現してジュニアヘビー級の世界は大きく広がった。それは日本を越えて世界にムーブメントを巻き起こした。
足首骨折と脳腫瘍。
ライガーの1つ目の試練は1994年9月の左足首の骨折だったが、リハビリが始まって間もなく、両国の病院にライガーを見舞った。リハビリから戻って来るはずの時間に病室を訪ねたが、30分待ってもライガーは戻って来ない。
「もう戻って来るはずなんですけれど、食事の時間ですから」と看護婦さんは時計を見た。松葉づえをついたライガーが戻ってきたのはそれからさらに30分以上待った後だった。早い復帰を目指したライガーは1時間も余計にリハビリに励んでいたことになる。
「あれ、来ていたんですか」(ライガー)
「これでも久しぶりにやろうかと思って」
暇だろうと思って持ってきたトランプを見せるとライガーは笑った。
2つ目の試練は1996年夏に「脳に影がある」と言われたことだ。
「脳腫瘍」という当時としては衝撃的な通告を医師から受けた。後楽園ホールでファンにその事実を発表してしばらく休場することになるのだが、その翌日、筆者はライガーにインタビューする予定だった。さすがに「明日は取材はなしだろうな」と控室にライガーを訪ねると「予定通り道場に来てくださいよ」という返事だった。「(気持ちが)強いな」と思った。