プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
獣神サンダー・ライガー涙なしの引退。
「猪木の家」に30年以上住みついた男。
posted2020/01/11 11:30
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
獣神サンダー・ライガーは1月5日東京ドームで、佐野直喜と組んで、高橋ヒロム、リュー・リー(ドラゴン・リー)組との引退試合を終えた。6日には大田区総合体育館で引退セレモニーを行った。そして、プロレスラーとして最後の10カウントを聞いた後、棚橋弘至らとテーマ曲『怒りの獣神』を熱唱した。
明るい引退試合、絶対に泣かない引退試合をテーマに掲げていたライガーだったが、妻子のリング登場の際には長男が涙したことで、ぐっと来たようだった。それでも「バカやってんじゃないよ」と互いに小突きあって、場内の笑いを誘った。
アントニオ猪木からのねぎらいのビデオ・メッセージには、さすがにびっくりして感慨深いものを感じたという。
「ボクはアントニオ猪木の教え子としては落第生だったので、よく怒られました。ろくなことしていませんでしたから」
2階の畳の部屋で長く暮らしてきた。
多摩川の土手沿いにある野毛の新日本プロレス道場は、もともと猪木が日本プロレス時代から住んでいた自分の家の庭をつぶして「練習場所がなくてはレスラーは育たない」とそこに道場を立てて、家の部分はレスラーの合宿所にあてたものだ。
ライガーと素顔の頃の「Y少年」はここの住み心地がずいぶん気にいったのか、入門したときから階段を上がった2階の畳の部屋で長く暮らしてきた。
「プロレスラーは強くなければいけない」
猪木や山本小鉄から言われたことをライガーは胸に刻んだ。橋本真也らとここでずいぶんイタズラもしたが、練習の虫だった。エアコンもなく真夏にはクラクラするような灼熱地獄だった道場で汗をたっぷりと流した。足元の床にできた汗の水たまりの大きさを競うように黙々とスクワットを続けていた。
体は小さかったが、負けん気が強く練習熱心な男を猪木は気に入っていた。1986年2月には大阪城ホールで猪木、山田恵一vs.木戸修、高田伸彦(延彦)というカードが組まれたこともあった。