松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
競技生活3カ月で日本代表選手に!?
当時の伊藤の練習方法に修造、困惑。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byNanae Suzuki
posted2020/01/14 11:00
パラテコンドー選手の伊藤力さんの話を聞けば聞くほど困惑していくことに……。
「協会経由で東京での職場を探してもらって」
伊藤「アジア選手権が終わって、そういえば岡本さんが『東京へ来たら職もなんとかしてあげる』と言っていたのを思い出したんです。ちょうどゴールデンウィーク明けくらいから前の職場に復帰して、働きながら練習をしていたんですけど、この環境では難しいなと。それでテコンドー協会経由で東京での職場を探してもらって、今の会社にたどり着きました。今の会社は障がい者スポーツに理解があって、基本、練習を優先させてくれる。職場に行くのは週2回で、合宿などにはすべて参加させてもらってます」
松岡「それはトップアスリート待遇ですね。今までのストーリーをすべて話して、会社に納得してもらえた。じゃあ、次は奥さんだ。北海道を離れないといけません」
伊藤「奥さんも職が決まったのなら良いよと。それで7月末くらいにこっちへ引っ越して、8月から通勤を始めました。練習環境もずいぶん変わって、僕が頼るところがなくて困っているという話をしたら、徐々に協力するよと言って下さる師範の方が増えてきたんです」
松岡「全日本でデモンストレーションをしたりして、顔が知られてきたんですね。それも協会ではなく、伊藤さんが見つけたんですか」
伊藤「そうですね、練習環境を求めて、色んな大学や道場を転々として。わりと最近までそんな感じでした」
(構成:小堀隆司)
伊藤力いとう・ちから
1985年10月21日、宮城県生まれ。パラテコンドー日本代表。クラスはK44、61kg未満級。2015年4月、職場での事故で右肘上部を切断。16年1月よりパラテコンドーを始める。同年4月アジアパラテコンドーオープン選手権大会に出場し初戦敗退。それをきっかけに練習環境を整えるために東京移住を決意。アスナビ(JOCが実施しているトップアスリートの就職支援ナビゲーションシステム)を活用し、セールスフォース・ドットコムに就職。同社に勤務しながら東京2020パラリンピックを目指している。'17年US オープンで金メダルを獲得、同年の世界選手権ではベスト8に。'18年、'19年全日本選手権2年連続優勝。