松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
競技生活3カ月で日本代表選手に!?
当時の伊藤の練習方法に修造、困惑。
posted2020/01/14 11:00
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Nanae Suzuki
パラテコンドーで2020年の東京パラリンピック出場を目指す伊藤力さん。伊藤さんは2015年4月に勤務先の工場で事故に遭い、利き手である右腕を失った。
それまでサッカーをしていて、格闘技とは無縁だった伊藤さんは、知人にパラテコンドーを紹介され、その道を探り始める。つてをたどる手段に使ったのが、SNSのツイッターだった。
松岡「なんでまたツイッターで? 僕のイメージだと、パラテコンドーを紹介してくれた方がコーチもすべて準備してくれるものだと。相当軽い感じの声がけだったんですか」
伊藤「そうですね(笑)。軽かったです。こんな競技があるからやってみないって。でもどうやって始めたら良いか分からないから、ツイッターで岡本依子さんに連絡を取って。当時、岡本さんがパラテコンドーの普及に携わっていたんですけど、僕はその時、岡本さんが偉い人だと知りませんでした」
松岡「あの岡本さんを知らなかったの。シドニーオリンピック(2000年)で銅メダルを獲って、号泣して。僕は鮮明に覚えてますけど」
伊藤「そのとき僕は十代半ばですからね。仕方ないです」
松岡「そうか、世代がね。それでいきなり岡本さんに連絡を取ってどうなるんですか」
伊藤「『やりたいんですけど』ってダイレクトメールを送ったら、すぐに返信が来て。どうやら岡本さんも選手がいないから必死に探していたみたいなんですね。それで電話番号を聞かれて、またすぐに折り返しの電話があって、いきなり『休職中やったら東京か大阪に来られへんの』ってバリバリの関西弁で言われました」
松岡「なんか、映像が頭に浮かびます(笑)。でも、その時点ではまだ1回もテコンドーをやってないんでしょ。どんな動きができるのかもわかっていないのに、いきなり東京か大阪に来てと。岡本さんのリアクションもすごいですね」
「とりあえず柔軟体操をやったくらい」
伊藤「職はどうにかするから、来てほしいと。ただ、僕も子どもが生まれたばかりだったし、すぐには返事ができなくて。最終的に、2016年の1月末に合宿があるから、そこに参加するという話で落ち着きました」
松岡「その合宿までにテコンドーをする機会は?」
伊藤「ないです。練習方法も分からないので、とりあえず柔軟体操をやったくらい」
松岡「(呆気にとられた様子で)前向きさというか、良い意味でのナチュラルさを感じます。じゃあ、その合宿で初めてテコンドーに触れるんですね」
伊藤「ところが、いざその合宿に足を運んだら、声をかけてくれた岡本さんがいないんです」