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佐藤琢磨が次世代に
伝えたい喜びと悔しさ。

posted2020/01/15 11:30

 
佐藤琢磨が次世代に伝えたい喜びと悔しさ。<Number Web> photograph by SPORTS BIZ

text by

稲川正和

稲川正和Masakazu Inagawa

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SPORTS BIZ

 2011年3月11日、その日、佐藤琢磨はヨーロッパからアメリカに向かう飛行機の中にいた。F1からインディカー・シリーズに転向して2年目。3月27日の開幕戦に向け、プレシーズンテストに臨むためだった。

「シカゴの空港に着いて、日本の情報がいろいろ入ってきて、メッセージもたくさんもらいました。もう、言葉にならないほどショックで、海外にいる自分が何もできないことの無力感、自分に何かできることはないかと必死になって探している焦燥感、そして、自分はこのままレースに出ていいのだろうかという疑問に次々と襲われました」

 多くのアスリートが、あの日、同じような気持ちを抱いた。当時、ミルウォーキー・ブルワーズに所属していた齋藤隆は、キャンプ地で故郷の仙台が被災したことを知ると、居ても立ってもいられないなってようやく電話がつながった兄に「帰国したい」と思いを告げたが、「お前が帰ってきても、何もできない。それよりも、今の自分にできることを一生懸命やってほしい」と諭された。

「その気持ち、よくわかります。僕たちアスリートは、日頃、多くの人の応援やサポートを受けながら、スポーツ活動を続けています。だから、こんなときだからこそ、その方々に恩返しがしたいと思うんです。『スポーツなんて、やっている場合じゃない。とにかく役立つことをしなければ』って。でも、そのうち気づくんです。自分にできることは、スポーツを通して、復興を支援することだと。それは、自分たちにしかできないことなんです」

「こわい、できない」と言っていた女の子が。

 さっそく、佐藤は「With you Japan」という復興支援プロジェクトを立ち上げ、インディカー・シリーズに参戦する他のチームのドライバーやクルーたちと義援金を募ったり、アメリカの小学校を訪問し、日本の子どもたちへの応援メッセージを書いてもらったりした。翌年2月には気仙沼の小学校で「佐藤琢磨と元気に遊ぼう! In 気仙沼」と題し、運動不足になりがちな被災地の子どもたちに思いっきり体を動かしてもらった。

 2014年、プロ・レーシング・ドライバーならではのプロジェクトとして、被災地の子どもたちに新しい試みにチャレンジする面白さを伝えようと、「グリコ×With you Japan TAKUMA KIDS KART CHALLENGE」を立ち上げた。宮城県のスポーツランドSUGOと、この年、大規模な土砂災害に見舞われた広島県のスポーツランドTAMADAに地元の小中学生約270人を招き、レンタルカートでサーキットを疾走する楽しさを味わってもらった。

「8歳の女の子のことをよく覚えています。カートを見たことも乗ったこともない子が、最初は1人でカートを走らせるのを怖がって、『できない』って言っていたんですね。でも、ストップ・アンド・ゴーを繰り返して少しずつ運転することに慣れ、パイロンを立てたUターン、そしてサーキットでの先導走行から、最後には1人で1周のタイムトライアルを行い、チェッカーフラッグを受けたときの女の子の満面の笑み。当初は自分にはできないと思っていた子が、挑戦する中で、最後は目標を達成する喜びを全身で感じたんです」

【次ページ】 インディで佐藤があげた雄叫び。

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