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<稲垣啓太の少年時代を追う>
“笑わない男”のすべらない話。in新潟
posted2019/12/30 15:00
稲垣が300万円を寄付して作られた新潟工業の天然芝グラウンドを駆ける部員たち。
text by

近藤篤Atsushi Kondo
photograph by
Atsushi Kondo
ガッキーの少年時代について、ちょっと調べてきてくれませんか。
その依頼人(ナンバー編集部の編集者だ)は夜遅くにかけてきた電話の向こうで、そう言った。
依頼された仕事は基本的に断らない。だが、なぜガッキーの少年時代を探らなければならないのか? と僕は電話の向こう側に尋ねた。「だって……」、しばしの沈黙の後、彼はこう言った。「むちゃくちゃ面白そうじゃないっすか!」。
結論から言おう。
ガッキーの少年時代の話は、むちゃくちゃ面白かった。もし稲垣啓太がササン朝ペルシアの時代に生まれていたら、シャフリヤール王に向かって千一夜必死に物語を紡ぎ続けるシェヘラザードも、さほど困らなかったに違いない。毎晩、ガッキーの話をしていれば良かっただけだ。
依頼を受けておよそ2週間後、僕は信越本線荻川駅からほど近い居酒屋にいて、目の前に座った2人の男性の話を聞いていた。彼らの名前は、大橋佑允と吉原舜といった。
2人とも稲垣とは市之瀬幼稚園の頃からの幼馴染である。
僕はまず、今ではすっかり有名になった「ホッピング事件」の真偽について大橋に尋ねる。ホッピングで遊んでいたら幼稚園の床が抜けたってホントですか?
大橋は笑いながら即答した。
こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
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