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石川遼「もう“アラサー”ですよ」
今も消えない感謝と成長への意欲。 

text by

桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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photograph byKyodo News

posted2019/12/10 19:00

石川遼「もう“アラサー”ですよ」今も消えない感謝と成長への意欲。<Number Web> photograph by Kyodo News

日本シリーズJTカップでプレーオフの末、今季3勝目を上げた石川遼。ツアー史上最年少で生涯獲得賞金10億円を突破した。

追われる存在となった「遼くん」。

 時は流れ、石川の周りにはかつての自分に畏敬の念を抱いた選手たちが増えた。本人に「ついてきやがれ」的な親分気質はありそうにないが、彼の練習に積極的に交ぜてもらおうとする若手も少なくない。

 2年続けて賞金王になった今平周吾にとっては小さい頃、石川は雲の上の存在だった。同じ埼玉出身。インタビューなど公式の場では1つ年上の先輩を「石川選手」「石川さん」と呼ぶが、ふと気を緩めると、昔のように思わず「遼くん」と口走ってしまう。

「中2くらいで、高校生をひっくるめた大会でも、いっつも上にいた」

 2007年に石川がアマチュア優勝を遂げるのを見て、プロツアーは急に意識するものになった。

 23歳の星野陸也に言わせると、石川は「超、いいひと」である。

「だって、自分だってゴルフが上手くなりたいはずなのに、選手会長として僕たちがゴルフをしやすい環境を作れるように努力してくれているわけじゃないですか」

 小学校4年生のとき、練習ラウンドをともにした当時中3の石川のボールの飛びに思わずたまげた。“ハニカミ王子”のフレーズが誕生する前に「この人はスゴイ!」と目を輝かせ、サインをもらったというから、その先見の明はなかなかのものである。

タイの少年にも夢を与えた石川遼。

 当時の影響力は海の向こうまでも届いていて、今年日本ツアーで賞金ランク7位になったタイ出身の24歳ジャズ・ジェーンワタナノンドは、少年時代に石川に憧れ、15歳でプロ転向した。

「石川選手のことは僕が11歳、12歳の頃に知りました。タイではそもそも、当時から彼は有名なプロとしてメディアに取り上げられていたんです」

 開幕戦SMBCシンガポールオープンで優勝して序盤戦は賞金レースを引っ張り、石川と顔を合わせる機会も自然と多くなった。「爽やかでスポーツマンシップに溢れている。一緒にいて楽しい。念願かなって一緒にプレーできて良かった」と日本ツアー本格参戦1年目を振り返った。

【次ページ】 「怖い」をたくさん経験してきた。

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