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8年間でスタメンマスクは10試合。
DeNA西森将司、去り際の笑顔と感謝。
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byMasashi Nishimori/Instagram
posted2019/12/06 19:00
多くのファンの記憶に残る選手ではなかったかもしれない。しかし、西森将司は間違いなく日本最高峰のリーグで戦う「プロ野球選手」だった。
戦力外通告を受けた時、何を思ったか……。
若手投手への思いが心の大半を占めた2019年、西森自身は1度も一軍に呼ばれなかった。支配下登録されて以来、初めてのことだった。
故障者などにより捕手の人員不足に陥っていたファームで、肩に痛みを抱えながらも55試合に出場した。優勝争いを演じる一軍に、1人でも多くの投手を、少しでもいい状態で送り込むため、要に座って球を受け、助言とともに返し続けた。
そして秋口になり、西森は戦力外通告を受けた。
「1回も一軍に上がらないってことはもう、そうじゃないですか。だからぼく自身は覚悟してました。『わかりました』と、すんなり」
NPBの球団に限り、現役続行の可能性を模索はした。
ドラフトで思うように捕手を獲得できなかったチームから誘いがあるのではないか。秋季キャンプへの参加の打診があるのではないか。微かな望みをかけ、日本シリーズが終わるまで待った。
だが、そうした類の連絡はなく、心は固まった。京都の実家に帰り、まず親に直接、現役を退く意思を感謝とともに伝えた。そして11月1日、球団を通じて西森の引退が発表された。
「あのときは特別な時間やったなと思います」
最も輝いていたのはいつだろう――?
ひと通りの話を聞き終えてから筆者が投げた問いに、西森は明るい声色の答えを投げ返した。
「初打席、初安打じゃないですか。あのときは特別な時間やったなと思います」
支配下登録された直後の2013年7月27日、甲子園でのタイガース戦。9回表、代打でプロ初打席を迎えた。マウンドには外国人左腕のザラテがいて、もらったばかりの背番号66をつけ右打席に入った。
「静かやったんですよ、甲子園が。ちょっと靄みたいなのがかかってて。いや、かかってたかどうかわからないんですけど……でもほんとに、ピッチャーとぼくだけの空間しかないような感じでした」
鈍い打球はセンター前に落ちる。いまはベイスターズの一員となった大和が捕球し、二塁走者だった荒波翔がいっきに本塁に生還。打った本人は一塁ベース上で右の拳を握り小さく揺らした。このときに記録されたプロ初打点が、西森の8年間における唯一の打点となった。
残る数字は寂しくとも、本人に悔いは「まったくない」。大村の教えのとおり、一日一日を全力でやり切ったと思えるからだ。
「すっきりしてます」
西森は清々しかった。