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<渡米2季目の奮闘>
本田真凜「大好きなスケートのために」
posted2019/12/03 07:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Nobuaki Tanaka
かつて大舞台になればなるほど力を発揮していた少女は、いつの間にか試合で精神面の脆さを露呈するようになった。自分自身の壁を越えるために――。アメリカでの日々と、アクシデントを乗り越えた連戦で見つけたものとは。(Number991号掲載)
2016年3月、中学2年生で初めて出場した世界ジュニア選手権で優勝。翌年はアリーナ・ザギトワに一歩及ばなかったものの、ショート、フリーともに完璧な演技で銀メダル。本田真凜はジュニアでは周囲からも大きな期待を寄せられる存在だった。
シニアデビューとなった'17-'18シーズンは、平昌五輪イヤーだった。かねてから目標としてきたオリンピックへの出場を誓い、開幕を迎えた。
だが挫折が待っていた。
シーズンを通してミスが続き、全日本選手権でも7位。夢はかなわなかった。
'18年3月、本田は1つの決断をする。
「環境を変えて、新しくスタートしたい」
選んだ先はアメリカ。ネイサン・チェンらを指導するラファエル・アルトゥニアンコーチに師事する道だった。
「ジャンプをトップの選手についていけるようにしたいというのがいちばんです」
渡米すると、ジャンプの新たな跳び方やステップの種類を学んだ。
「スケート中心の生活になっています」
と、アメリカでの時間を表現した。
'18-'19シーズンが開幕するも、アメリカでの練習の日々は、すぐには成績に直結しなかった。グランプリシリーズではスケートアメリカで8位、フランス杯では6位にとどまり、全日本選手権は15位と4度目の出場でワーストの成績に終わった。