ボクシングPRESSBACK NUMBER
「戦闘マシーン」と「良き父親」。
井上尚弥が持つ正反対の2つの顔。
text by
前田衷Makoto Maeda
photograph byAsami Enomoto
posted2019/12/01 20:00
「アリ・トロフィー」を手に写真撮影に応える井上。その肩に手を掛ける大橋会長は「尚弥のタフネスを証明できた」と胸を張る。
スパーリング相手が驚くこと。
私はこれまで、モンスター井上尚弥をコンピューター内蔵の「戦闘マシーン」とみてきた。
ボクサーは完璧な「戦闘ロボット」を目指し日々の練習に没頭するが、試合では人間であるがゆえに時にミスを犯す。それがこのスポーツの面白いところでもあるのだが、あとはそのミスをいかに最小限に抑え、かつ致命的にしないかの問題である。
その点井上は、無類の気持ちの強さもあって、ピンチにも動揺せず即座に修正して勝利に繋げることができる。それは日ごろの濃密な練習の中で身につけたものだろう。
井上のスパーリングの強さはすでに伝説的である。試合が決まればフィリピンや米国から強く頑丈なスパーリング・パートナーを呼ぶのが普通だが、国内の強豪たちもアマ・プロを問わずトップ選手の相手をする。ムキになって真剣勝負をするわけではないが、決して手を抜くことはない。
「井上は大したことなかったなんて言わせたくないですからね」と口にする負けん気の強さにあきれたものだった。今度も“仮想ドネア”としてアマチュアの全米2位ジャフェスリー・ラミドを招き、左フックをボディーに打ち込んでダウンさせている。
ロマチェンコと百数十ラウンドもスパーを重ねたラミドもこれには脱帽していた。井上のスパーリング・パートナーとして何度も呼ばれるジェネシス・セルバニアは、2階級上のフェザー級で世界を狙える実力者だが「井上はナンバーワン」と絶賛している。
試合前は家族と離れる選手もいたが。
しかしそんな称賛を受けるリングのモンスターが、ドネア戦では意外な一面もみせた。人生最大とも言っていい9ラウンドのピンチで、「一瞬息子の顔が浮かんだ」と言い「家族に支えられていると感じた」と実に人間臭い話をしていたのだ。
リングの中では優れた「戦闘マシーン」に徹しても、これを支える拠りどころは「家族」だったのだ。
昔は試合の何カ月も前から妻子と離れ山の中に籠って練習したマービン・ハグラー(元世界ミドル級王者)のような選手が珍しくなかった。闘争本能を高めるには家族的なものはマイナスとみられていたからだ。近年家庭を持つボクサーが増えたとはいえ、それでも試合が近づくと家族と離れて過ごす選手が多いのではないか。
しかし井上は試合前でもごく自然に家族と過ごしている。チャンピオンの新しいライフスタイルとして、これからのボクサーたちに影響を及ぼすかもしれない。