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セナと本田宗一郎に捧ぐブラジルGP。
歴史的1-2フィニッシュの舞台裏。
posted2019/11/19 11:50
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Getty Images
ブラジルGP決勝レース当日、舞台であるサンパウロ郊外にあるインテルラゴス・サーキットには、ポルトガル語で「Obrigado Senna」(ありがとう、セナ)と書かれたフラッグを持った観客が続々と詰めかけていた。
今年はブラジルが生んだ偉大なF1ドライバーで、1994年に悲運の事故死を遂げたアイルトン・セナの没後25年目。ブラジルGP主催者が日曜日のレーススタート2時間前に、セナが初めてチャンピオンを獲得した年のマシン、マクラーレンMP4/4を走らせるというイベントを予定していたからだ。
セナが初めて母国グランプリのブラジルGPを制したのが、'91年のことだった。
このレースはいまも伝説と言われるほど、多くのモータースポーツ・ファンの記憶に深く刻まれている。トップを走るセナのマシンがレース後半にギアボックスにトラブルを抱え、最後の数周は6速だけで走ったにもかかわらず、そのまま優勝するというドラマが生まれたからだ。
そのときセナのチームメートのゲルハルト・ベルガーのエンジニアとして現場にいたのが、現在ホンダのテクニカルディレクターを務める田辺豊治だ。しかし、その日がホンダにとって、ブラジルGPでの最後の勝利となっていた。
没後25年経っても多くの人が愛するセナ。
正午。インテルラゴス・サーキットにホンダ・ミュージックが響き渡り、セナの甥であるブルーノ・セナによって赤白のマシンが走り出すと、スタンドから期せずしてセナ・コールが湧き上がった。それをコース脇で聞いていた田辺は、改めてセナの偉大さを実感したという。
「25年が経ったいまも、セナを応援するコールがスタンドから鳴り響き、物凄かった。セナがいまだに多くの人から愛されていることを肌で実感しました」
そして、2時間後に控えている自分たちのレースに向けて、思いを一層強くした。
「セナとホンダの関係は、特別なもの。しかもここはセナの母国。思い出深いグランプリ」