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明大・森下暢仁が過ごした4年間。
注目右腕がドラフト前の心境を独白。

posted2019/10/16 11:50

 
明大・森下暢仁が過ごした4年間。注目右腕がドラフト前の心境を独白。<Number Web> photograph by Ryotaro Nagata

大学4年間でひと回りも、ふた回りも成長した森下暢仁。どのユニホームに袖を通すのか。

text by

永田遼太郎

永田遼太郎Ryotaro Nagata

PROFILE

photograph by

Ryotaro Nagata

 標高79.6m。東京都府中市にある木立の緑美しい浅間山(せんげんやま)の一角に明治大学野球部のグラウンドがある。

 左翼後方の高台には明大野球部の歴史を語るには欠かすことが出来ない2つの胸像が選手達を見守るように立っている。

 1910年に野球部を創設し、東京六大学野球の発展に尽力した内海弘蔵初代野球部長と、1952年から36年間に渡って野球部を率いてきた島岡吉郎(きちろう)元監督である。

 春、秋のリーグ戦開催日には、毎朝、この場所を部員達が参拝し、胸像前で校歌を斉唱する。その音頭をとるのが森下暢仁(まさと)の1日の始まりだ。

「歌うのは月に1回とリーグ戦の土日だけなので、そんなに照れもなくやっています」

 言葉数は多い方ではない。人前で話すのも苦手である。そんな森下がこのときばかりは照れも恥じらいもなく、声高らかに堂々と校歌を歌い切る。明大で過ごした彼の4年間の成長を感じさせるエピソードだ。

背番号10が森下を変えた。

 昨年11月、東京六大学の主将の証である背番号「10」を託された。

 そこから森下の意識は急激に変わっていったと周囲は口を揃えて言う。

 明大野球部では基本的に雑用は4年生がすることになっているが、その中で森下は自分が担当する寮のトイレを、毎朝、ピカピカになるまできっちり磨いてきた。

「10番をつけている以上、自分がやらなきゃいけないという自覚はある。それは今も変わらない。自分自身がしっかりやれば周りが付いてきてくれるという思いで、深くは考えずにやっています」

 歴代の主将達が務めてきた伝統を忠実に守り、それを越えていけるようにと考える。どんなときでも“全力投球”を欠かさない。森下にとって生涯失うことがない貴重な財産を手にした大学生活だった。

【次ページ】 「もういいや」と投げ出したことも。

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