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ディープ&武豊にオルフェーヴル。
凱旋門賞、日本馬の足跡と悲願。 

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平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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photograph bySatoshi Hiramatsu

posted2019/10/04 07:00

ディープ&武豊にオルフェーヴル。凱旋門賞、日本馬の足跡と悲願。<Number Web> photograph by Satoshi Hiramatsu

世界最強の女王、エネイブル。前走のヨークシャーオークスで10個めとなるGIタイトルを獲得した。

2001年には武豊に騎乗依頼が。

 その2年後の2001年も印象に残る一戦となった。結果はL・デットーリ騎手騎乗のサキーが2着に6馬身差をつけるワンサイドゲームで決着をみた。それでも印象に残ったのにはもちろん理由がある。

 この年、日本馬の挑戦こそなかったものの、日本人ジョッキーは参戦していた。当時、フランスに身を置き、長期でこの国の競馬に参戦していた武豊騎手だ。日本の第一人者に、フランスの伝説的なリーディングトレーナーであるA・ファーブル調教師から騎乗依頼が舞い込んだ。

 こうして武豊騎手は日本人の息がかかっていない凱旋門賞馬サガミックスの弟、サガシティで大一番に参戦。そして、ここで彼は好騎乗を披露する。なんと3着に好走してみせたのである。普段からあまり多くを語る方ではない重鎮ファーブル調教師も、これには笑みを見せながら「実に上手に乗ってくれた」と語ったものだ。

忘れられないディープとの挑戦。

 '06年の凱旋門賞も忘れられない。そう、あのディープインパクトが挑戦した年だ。

 競馬面やスポーツ面を飛び越えて社会面でも扱われ、テレビでは当たり前のように民放で生放送された、日本最強馬の凱旋門賞挑戦は一大フィーバーとなったので覚えておられる方も多いことだろう。

 この時、私は現地入りした後の1週間をほぼ毎日武豊騎手と過ごさせてもらった。当然、沢山の想いを耳にしたが、その中でも印象的だったのがレース前日の出来事だ。私は今でもその時の光景をハッキリと覚えている。彼と二人、車に乗っていた時のことだ。凱旋門に続くシャンゼリゼ通りの上り坂を上がりながら、天才ジョッキーはディープインパクトへの想いを口にした。

「多分、明日は勝てるんだろうけど……」

 これは何もおごりでも油断でもない。そのくらいディープインパクトの力は抜けていると思えたし、実際に能力だけなら当時の世界一といっても過言ではなかっただろう。

 しかし、結果は皆さんご存知の通り。競馬は時に残酷な牙をむく。必ずしも力通りに決着を見ないことは茶飯事で、この時も正にそうなってしまう。日本の最強馬は3位入線に終わると、レース後、検体から禁止薬物のイプラトロピウムが検出され、失格となってしまったのだ。

【次ページ】 「当時の夢を見てうなされることが」

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