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ビアンキの死から4年、新たな犠牲者。
フランスの22歳、ユベールを悼む。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2019/09/15 20:00
ベルギーでのユベールに捧げるF1初勝利に続き、イタリアで2連勝を果たしたルクレール。
ユベールならば、走るだろう。
訃報を知らされたフランス人のピエール・ガスリーは、パドックで人目をはばからず、涙した。
「僕たちは13歳から19歳まで、同じプライベートスクールで同じ教師に教わっていたクラスメイトでもあり、その間の6年は同じアパートメントの同じ部屋で暮らすルームメイトでもあった。最高の仲間をこんな形で失うなんて……」(ガスリー)
レース前夜、通常ならドライバーやレース首脳陣は、翌日のレースに向けて早々にサーキットを後にするのだが、ユベールが亡くなった夜、ガスリーは夜遅くまでサーキットにいた。
1戦前のハンガリーGPまで、ガスリーと同じチームでレースを戦ったレッドブルのクリスチャン・ホーナー代表は、そんなガスリーに寄り添っていた。
「私には、彼を励ます言葉をかけることしかできなかった。彼は明らかに動揺していた。だから、言ったんだ。『アントワーヌは自分が心からやりたいと思ったことを最後までやり続けた。君が明日レースをするF1マシンに乗る機会をもし彼が与えられたとしたら、彼は両手でそれをつかむはずさ』と」
カートの頃からのライバル関係。
事故から一夜明けたスパ-フランコルシャン・サーキットに、F1ドライバー20名が帰ってきた。前日の予選で16位に終わっていたガスリーは、ポールポジションを獲得したフェラーリのシャルル・ルクレールにこう言った。
「アントワーヌのために、絶対に勝て!!」
ルクレールもまた、少年時代に共にユベールとカートで腕を磨いた良きライバルだった。
ルクレールは'15年に亡くなったビアンキとも親しかった。
「昨日アントワーヌを失って、'05年のころのことが蘇った。初めてフランスのカート選手権に挑戦したときのことだ。あのとき、僕のそばにはアントワーヌがいた。そのほかにもエステバン(・オコン)やピエール(・ガスリー)もいた」(ルクレール)