マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
高校野球の「最高の負け方」って?
努力の全てを出した姿勢に拍手を。
posted2019/07/05 17:00
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Hideki Sugiyama
今年も、夏の甲子園予選が始まっている。
北海道の各支部予選と沖縄県予選から始まった「第101回全国高校野球選手権大会」の全国予選は、7月に入ってそのなかばともなると、全国のいたる所で連日熱戦が展開されて「甲子園」への道を切り開いていくのだ。
昨年、第100回は3781校の予選参加だった。
今年も昨年並みのチームが参加することになるだろうが、予選から甲子園の決勝までずっと勝ち抜くのはただ1校のみである。
あとのすべてのチームには、必ずどこかで「敗退」という現実がやってくる……考えようによっては、みんなが「敗者」になれる“夏”、そんな、残酷な2カ月間を迎えるわけだ。
トーナメントは勝ちか負けのみ。
いかに勝つか、勝ち抜くか。
この過酷な2カ月の闘いに挑む誰もが心を砕くのは、その1点だろう。だが実際には、「いかに負けるのか、敗れ去るのか」。そこがテーマの2カ月間になるのが、高校野球の夏の“ホントのところ”のような気がしている。
勝負には「勝ち方」だけが存在するのであって、「負け方」なんて必要ない、ちゃんちゃらおかしいぜ!
そう考える方もたくさんおられるだろうが、トーナメント(勝ち抜き戦)の参加者のほとんどすべてが経験させられる「敗退」について、仮に選手たちからその意味を問われたとき、どう説明しようとするのか。
リーグ戦ならたとえば優勝を逃しても、「2位」とか「Aクラス」という気持ちの収め方もあろう。
しかし、トーナメントは「勝ち」か「負け」である。
だからといって、「100」か「0」か……みたいな話になってしまえば、「努力」はあまりにもむなしいものになってしまったりはしないか。