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栗原恵がロンドン五輪落選で考えた、
自分の価値とバレーを好きな気持ち。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byAtsushi Hashimoto
posted2019/06/29 12:00
東京五輪を目指す後輩たちには「怪我をせず、最後まで思い描くプレーをしてほしい」とエールを送る。
「もう自分は価値なくなっちゃったな」
落選の直後は、“全日本選手”でなくなることへの恐怖感もあった。
「10年間ぐらい全日本に所属させてもらっていたので、それが自分の中で生活の一部になっていました。だから、『全日本がなくなった時の自分には何が残るんだろう?』という不安ばかりで。『もう自分は価値なくなっちゃったな』という思いしかなかったんです。
そんな時に、岡山シーガルズの河本昭義監督に声をかけていただいたんですが、こんな自分でも、こんなにも必要としてくれるんだと感じるぐらい熱烈なアピールをしてくださったんです。選手として価値がなくなったと思っていた自分に、すっと入ってきてくれました。
必要とされる幸せってあるんだなと感じましたし、本当に謙虚に、もう一度ゼロからのスタートだ、新しい自分としてチャレンジしようと思った時、すべて削ぎ落とされたというか……。強がることもなく、世間に求められているものなども一切考えず、ようやく本当の自分でバレーボールと向き合えるようになったんです」
バレーに悔いがない自分に気がついた。
そこからは、第2のバレー人生と言っていいほど、まったく違った境地でバレーを続けてきた。その中で引退を意識するようになった経緯を、栗原はこう振り返る。
「怪我があるたびに、引退というのはちらついていました。望んでの引退ではなく、仕方がなく辞めなければいけないのかなと。日立リヴァーレに所属していた時には病気を患い、その時はもう本当に辞めなければいけない時がきたんだなと思いました。初めて母にも『命を削ってまでバレーボールしないで』と言われて。
でも、そういう状況から復帰できたら、逆に、生かされている意味というものを感じたんです。それでも現役としてプレーできる私は、続けなければいけないんじゃないかと思ってしまった。なによりも、すごく楽しいって思えるのに、辞める必要はないのかなと。
ただ、それも過ぎると、今度はバレーボールが趣味なんじゃないかと思えてきて(笑)。そうなるともう、コートに置いてきた物はないなと思ったんです。
以前は、引退をネガティブに捉えていました。怪我で辞めなければいけないとか、もう必要ないと言われるだとか……。なにより、ずっと『バレーボールをとった自分には何も残らない』と思っていました。でもここ2、3年は、引退後の景色が楽しみになってきたんです。『これからどんなことができるのか』。自然とそちらに楽しみが向いているということは、もうバレーに悔いがないんだなと気づいたので、引退を決意しました」
引退後の栗原の笑顔と言葉に一点の曇りもないのは、そういうわけだった。