松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER

ボッチャ・廣瀬隆喜が父と泣いた夜。
修造、家族の強く温かな絆に触れる。

posted2019/07/01 08:00

 
ボッチャ・廣瀬隆喜が父と泣いた夜。修造、家族の強く温かな絆に触れる。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

6球ずつ投げ合い、最後に白いジャックボールに少しでも近いボールを置いた方が勝ち。カーリングのような頭脳戦が繰り広げられる。

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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Yuki Suenaga

 松岡修造が、パラアスリートと真剣に向き合い、その人生を深く掘り下げていく「松岡修造のパラリンピック一直線!」。第5回のゲストは、ボッチャの廣瀬隆喜さんだ。

 対談は、廣瀬さんと松岡さんがボッチャの対戦をしながら、松岡さんが気になったことを廣瀬さんにどんどん聞いていくスタイルとなった。話には母親の喜美江さん、スポーツアナリストとして戦術や動作分析に携わる渋谷暁享さん、それに多方面でアスリートのマネジメントやサポートを行っている三浦裕子さんの“チーム廣瀬”も加わって、にぎやかな様子。脳性麻痺を患っている廣瀬さんは、自分なりの合理的な動きを見出し、アンダースローでの正確なスローイングで日本のエースとなった。

 そして……。

 松岡さんは母親・喜美江さんに向き直ると、ためらいがちにこう切り出した。

松岡「隆喜さんの障害は、先天性のものと伺っています。生まれつきですか」

喜美江さん「そう。予定日より2週間早かったんです。体重は3154gあって大きかったけど、陣痛がそのときなかったのが気になっていたんです。後で聞くと『陣痛がないのは赤ちゃんが酸欠状態になっていたんじゃないか』って……。私にとっては初めての子でしたから、最初は何も気づかなかったんです」

松岡「ちょっと違うなと思ったのは」

喜美江さん「生後6カ月くらいになってもずっと、手をグーにしてたんです。今の子ってわりと手を開いて生まれてくる子が多いじゃないですか。だからそれで気になって、病院に行って聞いたんですけど、最初はこんなもんですと。でも心配だからまた聞きに行って、それほど気になるなら今度はリハビリの方へ行って診てもらって下さいと。そこで……脳性麻痺がわかったんです。たしかにハイハイも普通とは違って、なぜか仰向けに這っていましたからね。普通は腹ばいじゃないですか。これは弟ができた時にわかったことですけど、お腹にいたときも、蹴っ飛ばす力が弱かったと思います」

廣瀬隆喜(ひろせ・たかゆき)

1984年8月31日千葉県生まれ。先天性の脳性麻痺で、四肢体幹機能障害を抱えている。養護学校の中学部でビームライフル、高等部で車いす陸上に打ち込み、その後ボッチャに出会う。始めて4年で日本ボッチャ選手権で初優勝し、これまでBC2クラスで7度王者に輝く。2008年北京(個人、団体ともに予選敗退)、2012年ロンドン(個人2回戦敗退、団体7位)、2016年リオとパラリンピックに3大会連続出場し、リオでの個人戦では準々決勝敗退で7位入賞、団体戦で銀メダルを獲得した。西尾レントオール株式会社所属。

【次ページ】 高校時代、父子で泣きながら会話を。

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