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全米OP1週間前にコーチと決別。
寡黙なD・ジョンソンの熱い戦意。
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph byAFLO
posted2019/06/11 17:00
世界ランク1位を親友のケプカと争うダスティン・ジョンソン。しかしたとえライバルが勝っても祝福する度量が彼にはある。
不名誉なレッテルと、2013年の婚約。
ルーキーイヤーに早々に初優勝を挙げたジョンソンはメジャー大会でも次々に優勝争いに絡んだ。その始まりは単独首位で最終日を迎えた2010年全米オープン。しかし、サンデーアフタヌーンに「82」と崩れ、8位に終わった。
その年の全米プロでは72ホール目にバンカーでソールして2打罰を科せられ、プレーオフ進出を逃す奇妙な出来事に遭遇した。
2011年の全英オープンでは最終日の14番でOBを打ち、2位に終わった。
「DJはメジャーに勝てそうで勝てないグッドプレーヤー」――米メディアは、そんなレッテルを彼に貼り付けた。
そんなふうにジョンソンに付きまとっていた報われないイメージを一気に吹き飛ばしたのは、アイスホッケー界のレジェンド、ウエイン・グレツキーの愛娘ポーリナとの2013年の婚約だった。
しかし、明るい話題は翌年7月に一転して暗くなった。「ジョンソンは当面、ツアーから離れる」という声明が米ツアーから突然発せられ、理由も期限も明かされなかったため、金銭トラブルか、病気か、薬物使用による出場停止か等々、さまざまな憶測が飛び交った。
「優勝トロフィーの代わりに息子を抱いて」
謎の欠場期間中、長男テイタムくんが誕生。そして1カ月後の2015年2月に戦線復帰したジョンソンは、3月には早々にキャデラック選手権で復活優勝を遂げた。
だが、またしても「いいこと」は長くは続かず、その年の全米オープンでは72ホール目にまさかの3パットを喫して目前だったメジャー初優勝を最後の最後に自ら逃した。
「抱くはずだった優勝トロフィーの代わりに息子を抱いて車に乗った」
日頃から口数が少ないジョンソンだが、同時に彼は何が起ころうともエクスキューズもしない。そんなふうに、いつも寡黙なジョンソンには次第に理解者が増えていった。
2016年全米オープンでは、最終日の優勝争いの真っ只中でルールの裁定が保留されたままプレーするという前代未聞の珍事に巻き込まれたが、それでも黙って戦い続け、見事にメジャー初優勝を挙げたジョンソンを、ファンもツアー仲間もメディアも、誰もが賞賛した。