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パトリック・チャンが回想する、
ユヅル、ダイスケ、ソチ五輪。
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph byKaoru Watanabe/JMPA
posted2019/04/26 18:00
'11~'13年の世界選手権を3連覇していたチャン。ソチ後の'14-'15シーズンを休養したのち平昌五輪を目指し復帰した。
羽生に敗れたGPファイナルが転機。
その後メキメキと成績を伸ばしてあっと言う間に世界のトップクラスに到達したパトリックだが、個別取材を申請すると、大勢のカナダの記者たちに囲まれてもみくしゃになっているような時でも、必ず筆者のために時間を取ってくれた。若い頃からの知り合いだったこと、同じアジア系同士という親近感もあったのだろう。
唯一の例外が、2013年12月に福岡で開催されたGPファイナルである。
羽生結弦に敗れて2位に終わった後、カナダ連盟の広報担当者を通して「疲労」を理由に筆者も含めて全ての取材依頼を断ってきたのだった。
「(あの試合で負けたとき)確実に、潮の流れが変わったのだということを実感しました」と電話で答えた彼だが、精神的な打撃は計り知れなかったに違いない。
実際、あの福岡GPファイナルでパトリックはフリーで2度の4回転トウループを降りて、当時の彼にできたことはほぼ全てやった。
一方羽生は、冒頭の4回転サルコウで転倒。その後4回転トウループなど残りをノーミスで決めて193.41対192.61と僅差ではあったが、パトリックはフリーでも2位に終わった。
以前の取材で、パトリックは筆者にこうも語ったことがある。
「それまではベストな演技をすれば絶対に勝てるという自信があった。でもあのファイナルで2位に終わったとき、良い演技をしてもジャッジは評価してくれないかもしれないという恐怖心がわいたんです」
恐怖が「キラキラ」したオーラを失わせた。
フィギュアスケートにおいて、精神的な要素の大きさは計り知れない。福岡GPファイナルの後、ジャッジはもう自分の味方ではないのかもという恐怖心が、パトリックを苛んだのである。
心の中に恐怖を抱えてからのパトリックは、あの天然の「キラキラ」というオーラを失った。ソチで2位に終わり、1年の休暇を経て戻ってきてもかつて楽しそうに目を輝かせて滑っていたパトリックは、そこにはいなかった。