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44歳伊東輝悦と41歳明神智和は
今、J3という戦場でボールを追う。
text by
近藤篤Atsushi Kondo
photograph byAtsushi Kondo
posted2019/05/03 09:00
シドニー五輪や日韓W杯など、大きな舞台でも“らしさ”を見せていた明神智和。今も愚直にボールを追い続けていた。
ふくらはぎは相変わらず太い。
それからおよそ1週間後、僕は静岡県の沼津駅前からタクシーに乗り込む。アスルクラロの練習場までお願いします!
車は北に向かって進み始め、遠くの山の頂の向こう、真っ青な青空の中に冠雪した富士山の頂上が少しだけ見える。
長野では朝の空気の中、冷たい冬にプレシーズンを過ごさねばならないサッカー選手について思いを寄せていた僕が、今度は沼津の明るい日差しの中で、サッカー選手の取材が終わったら三島で美味しい鰻でも食べて帰ろうかな、と考えている。
アスルクラロ沼津の練習場に着くと、すでに30人ほどの選手がブルーのウェアでウォーミングアップを始めている。
お目当の選手はすぐ見つかった。彼を探し出すのは昔からいつも簡単だ。ふくらはぎを探せばいいのだ。まるで太もものように太い2本のふくらはぎ。そこから視線を上げれば、彼のことは簡単に見つけられる。
伊東輝悦、彼は去年で44歳になった。
寡黙な男が引き寄せた「奇跡」
今から23年前、28年ぶりのオリンピック出場を決めたアトランタ五輪日本代表の一員として活躍し、ブラジルとの初戦ではガチメンバーで乗り込んで来ていたカナリア軍団相手に値千金のゴールを決め、「マイアミの奇跡」を起こした男である。
抜群のサッカーセンスを持ち、視野が広く、上背はないが体幹が異常に強く、巧みなボールコントロールと弾けるような初速を持っていた。あの時の五輪代表は、中田英寿を筆頭に、才能豊かな選手に満ち溢れていたが、僕と僕の周りのカメラマン仲間では、テルこと伊東への評価が相当に高かった。寡黙だけれどなんだか愛嬌があるずんぐりした生き物、僕は彼のことを密かに「ウォンバットくん」と呼んでいた。
そのテルは清水エスパルスで36歳まで過ごしたあと、甲府で3年、長野で2年、秋田で1年プレーし、一昨年からはこの沼津に所属している。3年目になる今シーズン、契約更新のニュースがようやく発表されたのは、僕が訪ねた、ほんの2日前だった。