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新球シュートの習得が転機に。
「西武のイチロー」田村の誓い。
posted2019/04/18 11:30
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph by
NIKKAN SPORTS
ライオンズファンが「うちのイチロー」と愛情を込めて呼ぶ選手がいる。入団3年目を迎える田村伊知郎だ。
1994年9月19日、11時1分に兵庫県で生まれた。教員である父が当時、受け持っていたクラスが1年1組だったこともあり、1という数字にこだわって「いちろう」と名付けられた。奇しくも1994年は、あのイチローが登録名を鈴木一朗から「イチロー」に変え、大ブレイクを果たした年。兵庫県で生まれ育った田村にとって「試合もよく見ていました」と、イチローは縁のある存在だ。
そんな田村の飛躍は、ライオンズファンにとってはシアトル・マリナーズのイチローの引退と同様に、関心の高い出来事ではないだろうか。
今シーズンこそ、何が何でも、中継ぎ投手陣の1人として結果を残してほしい。そんな温かい視線を送られる若手投手だ。
秋から取り組んだ「シュート」。
昨シーズンまでの通算登板数は16試合。勝利は、まだ記録していない。しかし昨年の秋は一軍キャンプに抜擢され、辻発彦監督の目の前で投球練習を繰り返した。田村は言う。
「昨年の秋からシュートの習得に取り組みました。小野(和義)ピッチングコーチに勧められたのがきっかけです。僕はあまり身長も大きくないですし、これといってすごいボールがあるわけじゃないので、人がやらないことに挑戦することで自分の存在価値が生まれるんじゃないかと思って……。まっすぐとスライダーしかないまま西武に入って、当時は自分の色も何もなくて。
でも、さすがに2年やって『このままじゃやっていけない』と思いましたし、なんとかして自分の存在をアピールしていかないといけないと思っていました。その矢先、秋のキャンプでシュートに出会ったんです」
ブルペンで投げてみたところ、小野コーチから「それ、いいじゃないか。使えるじゃないか」と指摘された。