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芝から雪上へ舞台を変えても、
本堂杏実はタックルを続ける。
~ラグビーとスキー、パラリンピアンの決断~ 

text by

大友信彦

大友信彦Nobuhiko Otomo

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photograph byNobuhiko Otomo

posted2018/06/29 15:00

芝から雪上へ舞台を変えても、本堂杏実はタックルを続ける。~ラグビーとスキー、パラリンピアンの決断~<Number Web> photograph by Nobuhiko Otomo

大学時代にタックルを買われSHからフランカーに転向。左手は「生まれつきなので気にしたことはない」と語る。

 スパイクをスキーに履き替えて世界と戦ったパラリンピアンが、芝の上へ帰ってきた。6月2~3日、岐阜県恵那市で行われた、太陽生命ウィメンズセブンズシリーズの入替戦予選・リージョナルセブンズに、日体大のFWで出場したのが本堂杏実(あんみ)だった。

 杏実は5歳のときラグビーを始めた。生まれつき左手の先がないハンディを乗り越え、日体桜華高時代はU18日本選抜に選出。日体大1年時はピンクリボン杯という15人制の大会で日体大の優勝に貢献し、大会MVPにも選ばれた。転機は大学2年のとき。「パラリンピックで世界を目指してみないか」と誘われ、ラグビー部を休部してスキーに挑戦。平昌パラリンピックでは、競技歴わずか1年半ながら女子回転(立位)で8位に入賞し、4年後の北京ではメダルが期待される存在となった。

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