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ブンデスとJ1の監督を比べてみた。
若手が多いドイツ、多国籍な日本。
text by
島崎英純Hidezumi Shimazaki
photograph byUniphoto press
posted2019/02/08 11:30
バイエルンの監督を務めるニコ・コバチ。昨シーズンまでは長谷部誠の所属するフランクフルトを率いた。
Jの監督の国籍は千差万別。
昨季途中にバイエルンのカルロ・アンチェロッティ監督が解任された際には、指揮官のドイツ語力が問題視されて、それがチームコーディネイトの面で影響を及ぼしたと論じるメディアもありました。
実際、他クラブのスポーツマネジャーやゼネラルマネジャー職に就く者からは、監督の条件に「ドイツ語」を挙げる声が多いのも事実で、それがブンデスリーガで指揮を執る監督の素養の重要案件ともなっています。
一方、J1リーグを指揮する監督の国籍は千差万別。日本人が10人なのは当然として、スペインが3人(ミゲル・アンヘル・ロティーナ/C大阪、フアン・マヌエル・リージョ/神戸、ルイス・カレーラス・フェレール/鳥栖)のほかは各1名。
韓国(チョウ・キジェ/湘南)、オーストラリア(アンジェ・ポステコグルー/横浜FM)、オーストリア(ミハイロ・ペトロヴィッチ/札幌)、ブラジル(オズワルド・オリヴェイラ/浦和)、スウェーデン(ヤン・ヨンソン/清水)となっています。
Jリーグの場合は監督付きの通訳を介して指導を施すのが主流で、その流れに沿って、現在も様々な国籍の指導者がチームの指揮を執っているのではないでしょうか。
シャルケ指揮官は特異な例。
また、ブンデスリーガの監督がどのような筋道で指揮官となったのかも興味深いところ。最も多いのは他のブンデスリーガクラブを指揮して、一旦職を離れた後に再び他クラブに監督に請われたケース、そして所属クラブのセカンドチームもしくはアカデミー組織のチームから昇格したケースで、いずれも7例ずつ。
その他は、ハノーファーのドル監督のようにドイツ以外のクラブで実績を築いた人物が3例(他にはヒュッター監督、ファブレ監督)あります。
特異な例は、ブンデスリーガ2部のFCエルツゲビルゲ・アウエを率いて2部残留を成し遂げた後に1部のシャルケからオファーを受け、当時31歳で2年契約を交わしたドメニコ・テデスコ監督のケースです。