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田澤純一、勝負のアメリカ11年目。
アマ時代に口説かれたGMに導かれ。

posted2019/02/05 11:00

 
田澤純一、勝負のアメリカ11年目。アマ時代に口説かれたGMに導かれ。<Number Web> photograph by AFLO

昨季マーリンズ、タイガース、エンゼルスと渡り歩いた田澤は、今季からシカゴ・カブスに加入した。

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四竈衛

四竈衛Mamoru Shikama

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「まあ、いい時も悪い時もあるんですけど、こういう形でいい時もあるので、引き続き、それを信じてやっていくことが大事かなと思います」

 昨年9月中旬、当時エンゼルスでメジャーに復帰し、マリナーズ戦で1回3分の1を無失点と好投した田澤純一は、いつもと変わらない表情で自らの登板を淡々と振り返った。

 目の前の結果だけで、一喜一憂するつもりはさらさらない。

 メジャーの「酸いも甘いも」知る男は、自分の置かれている立場を踏まえ、冷静な顔でその先を見つめていた。

 その田澤が、このほどカブスとマイナー契約を交わした。春季キャンプには招待選手として参加し、オープン戦などを通して開幕メジャーを目指すことになった。

 つまり、何の保証もない。

 2009年、日本のプロ球界を経ず、レッドソックス入りした田澤は、紆余曲折を経ながらも着実に実力を蓄えてきた。右肘の「トミー・ジョン手術」を受けた一方、2011年にはメジャー復帰を果たし、'13年には勝ちパターンのセットアッパーとして大活躍。ポストシーズンでは、クローザーの上原浩治(現巨人)と一緒に毎試合のように登板し、防御率1.23と驚異的な成績を残し、世界一の立役者となった。

エンゼルス入りで変わった気運。

 ただ、その後のすべてが順風満帆だったわけではない。

 '17年に移籍したマーリンズでは、投球フォームのバランスを崩し、思うような成績が残せず、'18年5月に戦力外通告を受けた。その後、タイガースへ移籍したものの、1カ月あまりで再びリリースされた。

 だが、7月中旬、エンゼルス入りしたことで、田澤の気運が変わった。傘下マイナーで試行錯誤を繰り返す中、コーチ陣の指導、トレーニング法を吸収することで、少しずつ本来の投球をイメージできるようになり始めていた。

 その結果、マーリンズでは22試合で防御率9.00だったのが、9月にメジャー昇格したエンゼルスでは9試合で2.25。少しずつ本来の投球を取り戻し始めていた。

【次ページ】 ダルと直接リレーの可能性も。

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