マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
「記事の中から現場の匂いが……」
報道を巡る新聞記者の怒りに触れて。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2019/01/08 10:30
スポーツをめぐるメディアの報道方法は、ネットの登場によって大きく変化してきた。この過渡期に終わりはあるのだろうか。
見てないものは語れない、というルール。
私は、そんな時代に今の仕事を立ち上げたから、野球の世界でいう「なにくそ魂」みたいな意地だけで、ここまでやってきたような気がする。
こう見えて根はズボラな怠け者なので、自分の中に、そっちの方向へ流れないような「約束事」をいくつか作って過ごしてきた。
その中の“主柱”の1つが、
「見てないものは語れない」
というヤツである。
「見てない」とは、ナマで見ていないという意味である。
ナマで見ていないものは書いてはいけない……というより私の場合は、書いても自分が満たされないのでつまらないから、書く気にならない。そういう心持ちが、いちばん近いところだろう。
もちろん、膨大なデータの中から貴重な“事象”を発掘したり、その人特有の視点から、わが意を得たり! というような文章を世に送り出すライターさんたちがいることも、また事実であろう。
20年近く前に、「流しのブルペンキャッチャー」なんてことを始めたのも、その投手が投じるボールの威力と、その投手の心情の“ほんとのところ”をナマで知りたかったからだ。
活字になると、人は信じてしまう。
「活字」は怖いのだ。
活字にして紙の上に載せれば、人はとりあえずそれを信じてしまうからだ。
実際は“瀕死”の戦況も、逆の内容で活字にして紙の上に載せれば、勝ちいくさになってしまう。そんな時代が、現実にこの国にもあった。
「情報」とは“事実”でなくてはならないと思っている。
その大前提は、この足でその現場に出かけて行って、この目をカッと見開いて現実を見定め、ほんとのところはどうなんだ。それを伝えるということ。
そういった行為にほかならないのではないか。
「そうは言っても、金もかかりますしね……」
そんなこぼし方をしていた方がいた。
私も含めて、すべてのライターの本音であり、もしかしたら“急所”なのかもしれない。