才色健美な挑戦者たちBACK NUMBER
引退も考えたバレーボールの栗原恵が
見つけたベテランとしての役割。
posted2019/01/09 11:10
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph by
Kiichi Matsumoto
前のチームを辞めたとき、8割方、引退しようと考えていたんです。
ずっとリハビリなどをしながら現役生活を続けてきたので、大きな怪我もなく年間を通してプレーできた昨シーズンは、私にとってやりきったという思いがすごくあって。元々、怪我で引退するのは本望ではなかったので、元気な姿で現役生活を終われることは幸せだし、いいタイミングかなと思っていました。
だから次の所属先が決まらないことにも焦りはなくて、すごくフラットな気持ちで毎日を過ごしていました。選手のときは試合の勝敗はもちろん、毎日の練習の中でも今日はうまくいった、うまくいかなかったって、気持ちの波がすごく大きかったんです。それがバレーボールから離れたらすごく穏やかで、自分でもこんな風に生活できるんだって安心して、もうゆっくりしてもいいんじゃないかなって。
もしトモさん以外のお話だったら。
そんなとき、今の所属先の監督である吉原知子さんに声をかけていただいたんです。トモさんは私が日本代表に選ばれたときに、ベテラン選手として活躍されていて、私の中ではすごく大きな存在。だから「メグにしかできないことがまだあると思う」とおっしゃっていただいたときも、「トモさんのようなベテラン選手にはきっとなれないと思います」って正直に伝えました。そうしたら「私の背中を追うのではなく、メグなりのベテラン選手としての姿がチームに与える影響は大きいと思う」と言ってくださって。今の年齢でしか見えないものがあるのではないか、もう一度信じてついて行ってみようと復帰を決めました。
もしトモさん以外のお話だったら、現役を続けることはなかったでしょう。
代表戦に初めて出たのは高校3年生、17歳のとき。大山加奈と同じタイミングでの代表戦デビューで、そこから“メグカナ”として取り上げられるようになりました。あの頃は、まだバレーボールも荒削りでしたし「話題性だけで取り上げられるのではなくて、実力も追いつきたい」と必死に練習していましたね。負けん気もすごく強かったので、強く見せたい、ヘラヘラしちゃいけないってすごく力んでいました。背負わなくていいプレッシャーまで感じたりしていたので、もうちょっと肩の力を抜いて楽にやればまた違ったのかな、って思うこともあるし、そこはあの頃の自分にアドバイスしてあげたいですね。