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あくまでF1のシートを目指して。
山本尚貴と松下信治、不屈の挑戦。

posted2018/12/16 11:00

 
あくまでF1のシートを目指して。山本尚貴と松下信治、不屈の挑戦。<Number Web> photograph by Masahiro Owari

アブダビGPのレース前、トロロッソ・チームのガレージには山本尚貴の姿があった。

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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Masahiro Owari

 F1の今季最終戦が行われたアブダビ。そこに、強い信念を持って訪れた日本人ドライバーが2人いた。ひとりは、山本尚貴。もうひとりは、松下信治だ。

 2人は、その過程こそ異なるものの、似たような状況でこの場所に立っていた。

 山本は2018年のスーパーフォーミュラとスーパーGTを制し、国内における主要レース2冠を達成した。この2冠は、'04年のリチャード・ライアン以来14年ぶり、日本人ドライバーに限れば'03年の本山哲以来15年ぶりの快挙だった。国内で無敵となった山本が海外への挑戦、あるいはF1へのステップアップを考えるのは当然と言えよう。

「F1がすべてではないと思っていた自分がいましたが、いままでスタンドやテレビで見ていたF1を、実際にパドックやガレージで間近で見たら、童心に返ってワクワクしました。こんな新鮮な感覚を味わったのは久しぶりです」(山本)

4歳の時、セナに憧れて。

 実は、山本がF1を目指したのは今回が初めてではない。'13年にスーパーフォーミュラでチャンピオンに輝いたときのことだ。

 '15年からのF1復帰を発表していたホンダは、日本人ドライバーにも世界で活躍してほしいと、'14年からヨーロッパでレースをするためのオーディションを行なった。3人のドライバーがテストに参加。だが、山本は選考されなかった。

「悔しいというよりも、正直、自分に力がなかったことがショックでした。だから、『自分にはそういう素質がない』と結果を受け入れ、正直(F1ドライバーになることは)あきらめました。国内にしっかりと専念して、再び国内でタイトルを取ること、日本で一番速く走ることを念頭に置いて戦うようにしました」

 しかし、山本はF1ドライバーになる夢を投げ捨てていたわけではなかった。'92年に父に連れられて初めて鈴鹿でF1を見た山本には、そのときの記憶が鮮明に残っている。

「黄色いヘルメットに白と赤のマシンを見て、かっこいいなとアイルトン・セナに憧れました」

 山本にとって、F1でレースをするという夢は、4歳から抱き続けたかけがえのない宝だったのだ。

【次ページ】 2冠達成でアブダビ行きを決意。

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