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あくまでF1のシートを目指して。
山本尚貴と松下信治、不屈の挑戦。 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byMasahiro Owari

posted2018/12/16 11:00

あくまでF1のシートを目指して。山本尚貴と松下信治、不屈の挑戦。<Number Web> photograph by Masahiro Owari

アブダビGPのレース前、トロロッソ・チームのガレージには山本尚貴の姿があった。

2冠達成でアブダビ行きを決意。

 いったん閉ざされたF1への扉が再び開く日が来るまで国内のレースに集中し、5年後の'18年に2冠を達成したことで、山本はF1ドライバーになるために必要なスーパーライセンスを申請する条件をついに満たした。そして、アブダビ行きを決意する。

 ホンダの山本雅史モータースポーツ部長はその経緯を次のように説明した。

「スーパーGTのタイトルを取った翌日に、あらためて祝福のメッセージを送ったら、『会ってお話ししたいことがある』と返事が来ました。

 翌日に都内で会ったら『アブダビへ行って、フリー走行1回目からレースまで全セッションを生で見たい。僕の勝手な希望なので、すべて自腹で行きますから、パスを用意してください』と。もちろん、喜んで準備しました」

山本もF2復帰を探りにスパへ。

 もうひとりの日本人ドライバーである松下信治にとって、アブダビは1年ぶりの訪問だった。松下は'15年から3年間、ヨーロッパF2でレースをしていたからだ。ところが、思うような成績が出せなかった松下に、'18年のシートは用意されていなかった。

 その年から日本に戻って、スーパーフォーミュラを戦っていた松下だが、F1への夢は断ちがたく、やはり山本部長に直訴する。「スパ(ベルギーGP)に行きたいので、パスを出してください」

 松下がスパに行った目的はF1観戦ではなかった。F1と併催されているF2のパドックを訪れて関係者と話し合い、F2へ復帰する道を探ろうと考えていたのだ。

 帰国後、松下は山本部長に相談を持ちかける。

「F2に乗るために、いくら必要かチームに聞いてきました。自分でスポンサーを見つけて、ある程度のお金を集めることができたら、そのときはホンダさんも支援していただけますか」

 そのときの松下の真剣な眼差しには、'17年までの3年間以上の輝きがあった。

 山本部長はホンダの社内で協議し、条件が整えば松下を支援する決定を下した。果たして松下はスポンサー獲得に成功。その金額が十分であることを確認したホンダは残りの資金を用意するとともに、F2のチームと交渉。かつて佐藤琢磨が在籍したこともあるイギリスのカーリンというチームのシートを獲得した。

【次ページ】 「30歳だからできることも」

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