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「英語も喋れないアジア人が単身で…?」20歳まで競技経験ゼロ…“普通のサッカー少年”が受験失敗を機に「全米最高峰」の大学アメフト部に入るまで
posted2025/02/10 11:01

NCAA1部のハワイ大学アメフト部で正キッカーを務める26歳の松澤寛政。高校まではサッカー少年だった男はいかに全米トップチームに辿り着いたのか
text by

北川直樹Naoki Kitagawa
photograph by
本人提供
「NFL選手になりたい――」
大学受験に2度失敗し、20歳になっていた松澤寛政は、初のアメリカ旅行で出会ったアメフトで勝負しようと考えていた。受験で躓いてしまった人生を、一気に取り返す。帰国後、それまで触ったこともなかった楕円形のボールを蹴り続けた。
その様子をSNS伝いに発信することで、なんとか米国のコミュニティカレッジ(※日本の短大にあたる)に入学することができた。だが、単身アメリカに渡ってぶつかったのは、自身の英語力の乏しさと文化の違いだった。
入学したコミュニティカレッジは「底辺の底辺」
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寮では現地の米国人との相部屋だったという。
「向こうの若者は、とにかくうるさいんですよ。コミュニティカレッジの特性上、家庭環境に恵まれてこなかった人も多い。生活態度や素行が良くない学生も多かったです。僕は『フットボールをしに来ているんだ』というマインドだったので、その覚悟をへし折るようなものではなかったですけど、快適ではなかったですね(笑)」
松澤が入学したホッキングカレッジのフットボール部は新しいチームで、コミュニティカレッジのディビジョンの中でも下位クラスの所属だった。
「もう、底辺の底辺です。元々、コミュニティカレッジの競技レベルが高いとは思っていなかったんですが、規律はないし、遅刻、寝坊は当たり前。すぐにコーチに楯突く。悪いことのオンパレードです。でも、フットボールができることは本当に嬉しかったです。ずっとバイトをして英語を勉強して……というのがなくなったわけですから。ようやく自分がやりたいことに集中できる嬉しさは大きかったですね」
1年目は、試合でも最初のキックオフを蹴っていただけで、そのほかの場面でキッカーとしての役割を任されるところまでは行かなかった。
「右も左もわからない状態でした。僕は8月に入学したので、(9月スタートの)シーズンがすぐ始まってしまって。アメリカの生活もはじめてだったし、最初はとにかく流れに沿っていく感じでした。出られればいいプレーができる自信はありましたけど、焦っても仕方ないので」