ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
嵐のように生き、刃物のように闘う。
ダイナマイト・キッドよ、永遠に!
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2018/12/07 17:00
タイガーマスクと過酷な戦いを繰り広げたキッド。代償は大きかったが、リングに残したものも多かった。
2016年につきとめられた居場所。
その後、'93年にイギリスで現役復帰。身体はボロボロでまともな試合ができる状態ではなかったが、全財産を失ったキッドが金を稼ぐ手段はプロレスしかなかったのだ。'96年10月には日本のみちのくプロレスにも参戦。そこで、同じくプロレス活動を再開していた初代タイガーマスクとの再会をはたすが、キッドの身体は痩せこけており、もはやかつての爆弾小僧の姿はどこにもなかった。
このタイガーとの再会マッチを最後にキッドは完全に引退。プロレス関係者との連絡を一切断ち、マット界から姿を消した。
そのため引退後のキッドの近況は断片的にしか知ることはできなかったが、2016年10月にNHKの『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』でタイガーマスクを取り上げられた際、番組はキッドの居場所を突き止めることに成功。現在の様子を多くの人が知ることとなる。
キッドは'13年に重い脳卒中にかかり、晩年は介護施設で暮らしていた。傍らには現在の妻ドットの姿があった。キッドが引退した翌年、ふたりは出会い結婚。妻はキッドが有名なプロレスラーだとは知らなかったという。だからこそ、リングを降りたキッドが心を許せる人だったのだろう。
ダイナマイト・キッドは、妻ドットと出会うことで、ようやくトーマス・ビリントンに戻ることができ、故郷で静かな余生を過ごしたのだ。
たった10年の太く短い現役。
キッドが表舞台で活躍したのは、せいぜい10年強とあまりにも短いが、その後のプロレス界に与えた影響はあまりにも大きい。
日本の獣神サンダー・ライガーをはじめ、'80年代後半以降の世界のジュニアヘビー級レスラーは、ほぼ全員、キッドの影響を少なからず受けている。
そして、小さな身体であってもヘビー級の世界トップで闘うというキッドが作った道筋は、その後、弟子でもあるクリス・ベノワに受け継がれ、現在のトップ、AJスタイルズやケニー・オメガにまで続いている。
ダイナマイト・キッドは嵐のように激しく生きて、あっという間に我々の前から去ってしまった。しかし、キッドが残した遺伝子は、いま世界中に広まり、これからもずっとプロレス界に生き続けることだろう。
ダイナマイト・キッドよ、永遠に!