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スピードスケート・岡崎朋美に学ぶ、
競技も人生も楽しく健康に過ごす秘訣。

posted2018/10/02 13:00

 
スピードスケート・岡崎朋美に学ぶ、競技も人生も楽しく健康に過ごす秘訣。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

text by

林田順子

林田順子Junko Hayashida

PROFILE

photograph by

Yuki Suenaga

  1994年のリレハンメル五輪にはじまり、長野、ソルトレーク、トリノ、バンクーバーと、スピードスケート女子日本代表として5度のオリンピックに出場した岡崎朋美。バンクーバー出場時は38歳のベテラン。その後、妊娠・出産を経て、再びソチ五輪出場を目指し、カムバックした。残念ながら代表入りはならず、2013年に現役を引退。だが、妊娠を機に多くの女子アスリートが引退を選択するなか、出産後、そして40代になっても、なおスケートに打ち込む姿には多くの女性が心を動かされたはずだ。

  なぜ岡崎は長く現役であり続けられたのか。そこには岡崎流の年齢への向き合い方、人生を健康で美しく、充実させるための思いがあった。

 母親になってもオリンピックを目指したのは、やっぱり出られるんだったら出たいから。今だって、ずっと出たいですよ。オリンピックが特別なのは、みんながそこにピークを合わせてくるのが理由。毎年ある大会だと、強い選手でも“今年は調子が悪いな”とか、コンディションに波があるんですよ。でもオリンピックではそういうことはまずない。各選手、メンタルも強靭な体力も、さらに強化して試合に臨んでくる。そのハイレベルな戦いのなかで獲得する順位というものはやっぱり特別です。

 それに人生一度きりですからね。やっておけば良かったという後悔は何個もありますが、やりすぎて後悔したことってないですよね? 壁にぶち当たったら、乗り越えてやるっていうぐらいのチャレンジ精神は自分の成長のためにも、必要だと思います。それが自分に与えられた難関であり、人生で得てきたものなんです。だから自分にしかこないものだと思って挑戦していく。そういう考えは持つようにはしています。

 引退してからも広く浅く色々なことにチャレンジしていますが(笑)、現役時代と違って評価されることがないので、楽ですね。答えがないから、自分がこれでいいんだと思えばそれでいいんです。

母に言われた「きれいにしたら」。

 現役時代に所属していた富士急行は、チームカラーが黄色とピンクでした。この2色って、やわらかそうなイメージだけど、実は芯があって強さを感じる色ですよね。この色のように威圧するのではなくて、やわらかさがあるけど、強い。美しさと強さを備えた選手生活にしたいと思っていました。

 そのためには笑顔でいることも大事。例えば顔色が悪くてどんよりしていたら、みんなに心配されるじゃないですか。でも顔色が悪くても笑顔でいたら、まわりも大丈夫だな、と思ってくれる。笑っているとまわりの雰囲気も変わってきますし、笑顔は皆を幸せにしてくれるものです。それぐらい顔の造形に関わらず、笑顔って可愛い。笑顔が一番素敵なのは、どんな人にも共通する部分だと思います。内面って顔に出ると思うんです。我慢しすぎたり、要領よくやろうとか考えたら、絶対出ますから。そういう意味では無理をせず、自然体でいることも大事にしています。

 でも昔からそうだったわけではなく、長野オリンピックより前は、汗をかいても、ぐちゃぐちゃなままほったらかしという感じでした。それが長野でメダルをとって、テレビに出たりするようになったときに母親が「ちゃんときれいにしたら」とぼそっと言ったんですよ。普段そういうことを言わない人だから、「あ、これはよっぽどのことなんだな」と思って(笑)。そこからは日焼け止めをきちんと塗ったり、リンクでは寒さで肌が乾燥するので、クリームを塗ったりするようになりました。

【次ページ】 橋本聖子さんの実家で驚いた風景。

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