大相撲PRESSBACK NUMBER
御嶽海の優勝、その本当の価値は?
横綱大関が総崩れの「幸運と不運」。
text by
西尾克洋Katsuhiro Nishio
photograph byKyodo News
posted2018/08/08 10:30
入門からまだ3年、御嶽海の優勝は新時代の到来を告げるのだろうか。
優勝した関脇は、ほぼ確実に大関に。
まず、関脇による優勝は17例存在していた。約60年だから、3年に1度は起きている。体感としてはこの半分くらいのイメージだったが、意外と多いものである。ちなみに小結は4例、そして平幕だと18例だ。関脇で優勝した17例の優勝力士は、その後どのような成績を残したのだろうか。
調べてみると、驚くべきことが分かった。
なんと、御嶽海と昭和47年3月場所の長谷川を除く15力士が、全て大関以上に昇進しているのである。さらにこの15力士全員が、優勝を決めて3場所以内に大関昇進している。関脇という立場で優勝できるということが、そもそもその後の成長が見込めるということなのかもしれない。
厳しい状況で勝った照ノ富士と出島。
では今回の御嶽海のような事例、つまり、横綱大関が不調だった場所というのは一体どれくらいあるのだろうか。
まずは強い大関・横綱を倒して優勝した事例だと、記憶に新しい平成27年5月の照ノ富士だ。横綱は白鵬(11勝4敗)と日馬富士(11勝4敗)が、大関は稀勢の里(11勝4敗)と琴奨菊(6勝9敗)が居た。
そして、平成11年7月の出島のケースは、かなり厳しい条件下で優勝したものだ。横綱は曙(13勝2敗)と武蔵丸(12勝3敗)と貴乃花(9勝6敗)、大関は千代大海(10勝5敗)、貴ノ浪(8勝7敗)がいた。
このような場合、自分が好調だとしても格上の力士を打倒せねばならない。しかも、照ノ富士と出島の時は強い力士の層が厚かったので、15日間すべて良い相撲を取らねばならない。もしくは、良くない相撲でも勝ちを手繰り寄せるだけの運、それを引き寄せるための重圧を相手力士にかけられる強さが求められるのである。
照ノ富士の場合は平成生まれで初めての優勝ということ、そして規格外のパワーで上位陣の駆け引きを無力化するような圧倒的な内容だったこともあり、その強さに大いに納得し、最高の結果に将来への期待をそのまま乗せられるものだったと記憶している。
後に大関・横綱になる力士の優勝は、こういったケースが多い。相撲界の明日を切り開くような目覚ましい強さを、一線を張り続けてきた力士を相手に見せてきた印象が強い。
他にもリアルタイムで観てきた事例で考えると、平成11年1月の千代大海や平成12年1月の武双山の優勝もこの系譜に数えられる。