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甲子園ブラバン応援を語り尽くす!
“マニアック過ぎる”同級生対談。
posted2018/08/04 09:00
text by
梅津有希子Yukiko Umetsu
photograph by
Yukiko Umetsu
梅津「山下さんは、わたしの知っている新聞記者の中でも相当な応援マニアですが、いつからブラバン応援を聴いていたんですか?」
山下「夏の甲子園は幼稚園の頃から野球好きな親に連れられて毎年観に行っていて、その頃から音楽とセットで試合を観ていました。岡山生まれですが、まだ小さい頃に甲子園に近い西宮市に引っ越してたので、甲子園はとても身近な存在だったんです」
梅津「今年から有料になりましたけど、外野席が無料でしたもんね」
山下「夏休みに、金のかからない最高のレジャーだったんですよ(笑)。近所の人たちは、自転車に乗って“5号スパン(甲子園近くの高架下)”に停めて試合を観る、みたいな感じでした。今は停められなくなってしまいましたけど」
梅津「野球はいつから始めたんですか?」
山下「小2から高校までやっていました。大学時代はアメフト。高校野球の取材がしたくて、朝日新聞を受けたんです」
「天理の応援は今も変わっていません!」
梅津「子どもの頃、印象に残っている応援はありますか?」
山下「天理が好きでした。天理の応援は今でもまったく変わっていません。点が入った時の『ファンファーレ』に『ワッショイ!』。あとは3曲をローテーションで演奏する。曲数が少なくて覚えやすいのもよかったです」
梅津「『オブラディ・オブラダ』、『オーラ・リー』、『Our boys will shine tonight』(『セントポール』と呼ばれることも多い)のローテーションですよね」
山下「どれも子ども心に聴いたことのあるなじみ深い曲ばかりで、シンプルで好きでした。記者になってから、曲数が少ないことに意味があることを知って。『吹奏楽コンクールと時期が重なって、現役生が来られずOBに頼むことも多いから』と聞き、なるほどと思いましたね」
梅津「夏の甲子園とコンクールって、時期が完全にかぶるんです。試合とコンクールが同じ日になることも少なくなく、吹奏楽部は苦労しながらアルプススタンドに駆けつけています」