サッカー日本代表「キャップ1」の男たちBACK NUMBER
元代表・吉原宏太から西野ジャパンへ。
「だからすぐ次に夢をつくらないと」
posted2018/06/19 11:00
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph by
JFA
時差ボケで頭がぼーっとしたままの感覚。夢だった日本代表になれたという高揚感。そしてパラグアイが強すぎて歯が立たない衝撃。
吉原宏太にとってのたった一度の日本代表は、感覚が複雑に入り混じったままに過ぎていった。
「ホームで戦う南米のチームは、日本での親善試合で戦う時とまったく印象が違いました。赤い縦縞が相手をより強く見せる印象で。日本は大会を通じても三浦アツ(淳寛)さん、伊東テル(輝悦)さん、望月(重良)さんら数名を除いて、まずフィジカルで相手になっていない状況でしたから」
1999年7月2日、日本代表が特別参加したコパ・アメリカ(南米選手権)パラグアイ大会の第2戦。ホームチーム相手に0-4で敗れた試合で、人生最高の舞台に立った。時間にして25分だった。大会直前に同じFWの中山雅史が負傷。初戦のペルー戦(6月29日)に2-3で敗れた後に、追加招集によって巡ってきたチャンスだった。
「夢が叶っても、絶対にそこで挑戦をやめないで」
1978年生まれの吉原は現在、プロで最初の所属クラブのある札幌に暮らす。コンサドーレ札幌を応援するメディア活動と合わせ、同クラブのスクールで指導する日々だ。
子どもたちにこう話すことがある。
「夢が叶っても、絶対にそこで挑戦をやめないで。すぐに頭を切り替えて、次があると思おう」
自身が悔いている点だ。子供の頃から夢だった日本代表になれた。しかしそこですぐに頭を切り替えて、次のことを考えられなかった。
シドニー五輪代表としてのイメージも強い吉原にとって、フル代表の「キャップ1」は今でもそうやって子どもたちに語り継ぐほど色濃い経験だ。
日本代表の歴史の中で唯一の存在なのではないか。たった一度のAマッチキャップが南米のチームがワールドカップばりに力を入れる公式戦で、それもアウェーゲームだった、という男は。