サッカー日本代表「キャップ1」の男たちBACK NUMBER
元代表・吉原宏太から西野ジャパンへ。
「だからすぐ次に夢をつくらないと」
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byJFA
posted2018/06/19 11:00
コパ・アメリカでA代表としてプレーする吉原宏太。当時、W杯での連続決勝T進出国だったパラグアイに0-4で負けた。
パラグアイでは“ボールは友達”ではない!?
パラグアイ戦では、ロケ・サンタクルスの1ゴールを含む3ゴールを奪われた状況でトルシエにベンチで呼ばれた。
「裏に抜け出してゴールを決めてこい」
しかし、合流して日の浅いチームにあっては、まずパスを受けることが簡単ではなかった。名波浩に替わって後半から投入された藤田俊哉、三浦淳宏、相馬直樹、安藤正裕らがいた3-4-1-2中盤からのパスの受け手に自分が入りきれなかった。
オリンピック代表とは、勝手が違ったのだ。
「シンプルにプレーする」という良さを発揮するまでには至らなかった。
「それ以上にパラグアイの強さが衝撃で。彼らはボールキープしている状況で“泥棒から守れ”という言葉を使うそうなんですが、まさにボールをそうやって守っていた。身体を当てて、絶対とらせないようにして。日本だと“ボールは友達”とも言いますが、南米は根本の感覚が違うんだなと」
ハングリーさの違いもリアルに感じた。試合後、決して裕福ではなさそうな服を着た現地の子どもたちが日本代表のバスに向かってからかうジェスチャーを繰り返した。
「両手で4と0の数字を作って、こっちに見せつけてくるんです」
もしかしたら次の1試合(ボリビア戦1-1)でも出場機会があるかなとは思ったが、それは叶わなかった。
結局時差ボケが戻らぬまま、吉原はチームのグループリーグ敗退とともにパラグアイの地を去ることになった。
「その1試合に出たことが、どれだけ凄いことか」
日本代表キャップ1、という記録は幸せか、不幸せか。
吉原はもちろん、幸せだという。
札幌でコンサドーレ応援番組出演など、メディア活動をするなかでは正直なところ、より大きいインパクトを残した「元オリンピック代表」でも十分に認知してもらえる。
引退後、「よかったな」と思える瞬間は日本代表OBとしての親善試合などの活動時にやってくる。1キャップの自分は少し恥ずかしい思いをする。気が引ける。しかし、代表で一時代を築いた秋田豊や中山雅史がこう言ってくれるのだという。
「その1試合に出たことが、どれだけ凄いことか。何も恥ずかしがるなよ」
そういった場で顔を合わせるフランスワールドカップ世代は、自分が高校時代に没頭して代表戦を見ていた頃の選手たちでもある。
吉原は当時のチームについて、ある印象を持っていた。
「あのときは身体の強い秋田さん、速い岡野(雅行)さんというような特長を出して戦う選手がたくさんいたでしょう」