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暴れ馬ルーニーは米国で甦るか?
マンU最多得点、香川を生かした異才。
text by
粕谷秀樹Hideki Kasuya
photograph byGetty Images
posted2018/06/02 17:00
イングランドサッカーの顔であり続けたルーニー。マンチェスター・ユナイテッド時代の香川真司との好連係も記憶に新しい。
名調教師ファーガソンが手なずけた。
2004年8月31日、ルーニーに転機が訪れた。稀代の名将の薫陶を受けるべく、ユナイテッド移籍を決断したのである。
2560万ポンド(当時のレートで約52億円)もの移籍金を費やしたのだから、ルーニーはルート・ファンニステルローイとともに2トップのレギュラー候補だ。大方のメディアはそう予想していた。しかし、サー・アレックスは「周囲と連係を図る時間も必要だ」と歯止めをかける。
試合に出たくて仕方ないルーニーは、キャリントンの練習グラウンドで毒づいていたと伝えられているが、ユナイテッド入団からおよそ3週間、チャンピオンズリーグのフェネルバフチェ戦でハットトリックという、上々のデビューを飾っている。
彼の旺盛な闘争心を刺激するマネジメントは奏功した。“名調教師”サー・アレックスが、ルーニーという“暴れ馬”を見事に使いこなした一例である。
アンチェロッティ、カペッロも絶賛だが。
サー・アレックスのもと、田舎のあんちゃんはユナイテッドのメインキャストに成長していく。プレーの精度、強度に優れ、なおかつ守備面でもハードワークを惜しまなかった。ミランを率いていた当時のカルロ・アンチェロッティも、ルーニーを高く評価するひとりだった。
「ボールを奪った後も奪われた後も、何をすべきか瞬時に察知する。しかも最終盤まで運動量が落ちない」
後にイングランド代表を率いたファビオ・カペッロも絶賛する。
「戦略・戦術の理解力に優れている。どのリーグに行っても、トップランクのチームで定位置をつかめるだろう」
ただ、成功の裏では浮気や深酒など、次々とスキャンダルが発覚した。家族がいるのだから、女性にうつつを抜かしている暇はない。太りやすい体質なのだから、アルコールは慎まなければならない。見かねたサー・アレックスはときに優しく接し、ときに厳しく指導したが、ルーニーは聞く耳を持っていなかったとも報じられている。年齢を重ねても、暴れ馬は制御不能ということか。