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武豊の騎乗停止で三浦皇成に好機!
天皇賞・春は天才復活の大舞台か。
posted2018/04/29 07:00
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
AFLO
今から10年前、2008年のターフに、ひとりの新人騎手がフレッシュな旋風を巻き起こした。
三浦皇成。同年3月1日にデビューすると、凄まじいペースで勝ち鞍を量産し、10月25日、武豊が保持していた新人騎手最多勝記録を21年ぶりに更新する70勝目を挙げた。
「不滅」と言われた加賀武見の58勝という新人最多勝記録を1987年に武が破ったとき以上の衝撃が列島を駆け抜けた。
この年、三浦は重賞1勝(函館2歳ステークス)を含む91勝をマーク。そして2年目の'09年2月7日、JRA史上最速で通算100勝を挙げ、またひとつ武の記録を更新した。
「天才を超えた天才」は、テレビのバラエティー番組などからも引っ張りだこになり、日本の競馬界に新たな時代が訪れたことを感じさせた。
会って話すと、誰もがその頭のよさに驚かされる。
5歳のとき家族で大井競馬場に行き、騎手の格好をしてポニーに乗るイベントに参加した。それを機に、将来は騎手になると決め、腕立て伏せと腹筋運動を毎日100回こなすようになった。
小学1年生になると剣道を習いはじめ、4年生のときから器械体操のスクールに通うようになる。自分の体に硬さを感じていた三浦から親に頼んで通うようになったという。小学生のときから自身を客観視し、人生設計を行っていたのだ。
1年目の成績をなかなか超えられず。
しかし、華々しかった1年目に比べると、その後は伸び悩んだ。
'09年78勝、'10年46勝、'11年67勝、'12年77勝、'13年63勝、'14年73勝、'15年64勝と、ほぼ毎年リーディング10位台につけてはいたが、1年目の成績を上回ることはできなかった。
'16年夏には札幌で落馬負傷し、約1年におよぶ休業を余儀なくされた。
'17年夏に戦列に戻り、11月にインカンテーションで武蔵野ステークスを勝ち、復帰後重賞初制覇を果たす。
そして今年、そのインカンテーションで臨んだフェブラリーステークスでは6番人気ながら3着と健闘。高松宮記念では10番人気のナックビーナスをこちらも3着に持ってくるなど、ひと皮むけたところを見せている。が、デビュー11年目を迎えた今なおJRA・GIは未勝利だ。