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萩野公介、絶不調から驚異の7連覇!
日本選手権で味わった屈辱と栄光。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byYusuke Nakanishi/AFLO SPORT
posted2018/04/09 16:30
400m自由形2位で代表入りを逃した萩野は200m自由形を棄権。個人メドレーに専念し200m、400mとも優勝を果たした。
直後、見違えるように復活した萩野。
この決断が功を奏した。
6日にあった200m個人メドレー決勝の萩野は400m自由形とはすべてが見違えるようだった。
まず、入場の際の表情が全然違った。400m自由形のときは不安からくる緊張なのか、顔がこわばっていたが、200m個人メドレーではリラックスした表情でアナウンスの紹介を受け、スタンド観戦していた平井コーチの娘さんに「こうちゃーん!」と声を掛けられると笑顔で応えた。
レースでは4コースから飛び出し、バタフライから抜け出し、競り合う瀬戸大也を振り切って大会7連覇を達成した。
1分56秒37のタイムは銀メダルだったリオ五輪の自身のタイム1分56秒61を上回っていた。
「平井先生に『死ぬ気で泳げ。バテたら殺す』と言われていた。本当にバテたけど、最後まで泳げた」
平井コーチの口調は「笑いながら」(萩野)。
これで硬さがほぐれた。
「いろんな人から『水泳を楽しめ』と」
「400メートル自由形の後、いろんな人から『水泳を楽しめ』と言われた。どれだけつまんない顔して泳いでいたんだろう、って。周囲の人が気を遣ってくれたんだなと」
このとき萩野が明かしたのが、冬場の苦しい時期についてだった。
「1月に体調を崩した時点で、日本選手権に出られるかどうかというくらいだった。こうして日本選手権に出られていること自体がまず、すごく周りの人に支えられているということ。本当に感謝したい」
こうして迎えた最終日の400m個人メドレーは、平井コーチから「出るかどうかは君が決めなさい」と言われて出場を決めた種目。距離が長くなった分、最後はバテてしまい、4分10秒69と記録は平凡だったが、それでも200m個人メドレーとの2冠を達成し、派遣標準記録も突破した。
「正直まだ練習を初めてから2カ月たっていないくらいなので、自信になったと言える」 そう言って胸を張った。