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萩野公介、絶不調から驚異の7連覇!
日本選手権で味わった屈辱と栄光。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byYusuke Nakanishi/AFLO SPORT
posted2018/04/09 16:30
400m自由形2位で代表入りを逃した萩野は200m自由形を棄権。個人メドレーに専念し200m、400mとも優勝を果たした。
骨折、手術などの苦難を乗り越えてきた。
思い返せば'15年6月には右ひじ橈骨(とうこつ)頭骨折で全治2カ月の重傷を負い、1カ月後の世界選手権(ロシア・カザン)を欠場。
リオ五輪への影響が危ぶまれたがそこから見事に復活し、リオでは最も得意な400m個人メドレーで世界の頂点に立った。
200m個人メドレーでは銀。そして4×200mフリーリレーではリレーメンバーのエースとして日本に銅メダルをもたらす原動力となっている。
リオ五輪後の'16年9月には'15年に骨折した右ひじを手術。冬場の泳ぎ込みができない状況でもどうにか復活して世界選手権(ハンガリー・ブダペスト)の代表入りを果たした。
萩野の武器は天賦の才だけではない。
やり抜くと決めたときの意志の強さ、勝者のメンタルがあるからこその「萩野公介」なのだ。
今回も彼は立ち上がった。そして、3月に敢行した高地合宿では泳ぎの改善にも手応えを感じ取るまでになっていた。
ただ、それだけに、400m自由形のレースは本人にとって衝撃だったのだろう。
平井コーチの英断「悪い流れを切ろう」。
ここで善後策をすぐに打ち出したのが、平井伯昌コーチだった。
400m自由形の翌朝、萩野と話をし、200m自由形の棄権を決めた。萩野には「まずは200m個人メドレーのことだけ考えなさい。ここで悪い流れを切ろう」と言った。
200m自由形は、リオ五輪で銅メダルを獲った4×200mフリーリレーのチーム編成ができるかどうかにも関わってくる種目。
平井コーチは関係者にも理解を求めて棄権を決めた。