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イチロー、44歳での開幕スタメン。
「20歳のあの時に近い感覚がある」 

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笹田幸嗣

笹田幸嗣Koji Sasada

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posted2018/03/30 11:20

イチロー、44歳での開幕スタメン。「20歳のあの時に近い感覚がある」<Number Web> photograph by Getty Images

セーフコフィールドに戻ってきた、マリナーズのイチロー。日米の野球ファンにとって心躍る1年になりそうだ。

仰木監督のために頑張りたい、と。

 イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。

「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。

 その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」

「我々は選手を信じなければいけない」

 シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。サービス監督はこう言った。

「我々は選手を信じなければいけないんだ」──。

 故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。

【次ページ】 アメリカ人にも粋の概念、あるかもね。

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