ファイターズ広報、記す。BACK NUMBER
日本ハムの新スタジアム、運命の1日。
札幌市と北広島市がくれた感動を力に!
text by
高山通史Michifumi Takayama
photograph byKyodo News
posted2018/03/29 10:30
昨年4月、秋元克広札幌市長(右)は日本ハム・島田利正球団代表に新球場候補地の提案書を渡した。候補地決定後も同志の関係は続く。
「きたひろしま総合運動公園」が内定した時。
冒頭に記した運命の日――。
激動でもあり、素晴らしく感動的でもあった。都内で午前中に開かれた臨時取締役会が1日のスタートだった。
その場で候補地に「きたひろしま総合運動公園」予定地が、内定した。
球団広報として同行。本プロジェクトの中核を担う球団側の2人と、行動を共にした。
臨時取締役会で候補地を承認され、その足で北海道へと向かった。「道立真駒内公園」を提案して下さった札幌市、そして北広島市への結果報告のためである。
羽田空港での3人でのランチは正味10分程度というタイトなスケジュール。新千歳空港に到着すると、札幌市役所へと長躯、急行したのである。
札幌市には、個人的には「同志」の感覚が。
大勢の報道陣と一緒に、札幌市の方々が待ち受けてくれていた。約2年間、心血を注いで、本プロジェクトに伴走していただいた人たちの姿が目に飛び込んできた。国内屈指の大都市でありながら、球団という一民間企業のボールパーク構想に真摯に寄り添っていただいた。そう多く言葉をかわしたことはなかったが、個人的に「同志」の感覚を抱いていた。
その思いに応えることができず「きたひろしま総合運動公園」予定地を選択したという、メディアによる一報があった直後である。
我々と対面することに、人間であれば複雑な感情もあるだろう。また、落胆もあるだろう。そんな稚拙な邪推も、杞憂に終わった。
すがすがしく、凛として、出迎えていただいたのである。