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稲葉篤紀「五輪はWBCと全然違う」
侍ジャパンへ、新指揮官の忠告。
posted2018/02/14 07:00
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Ichisei Hiramatsu
アジアプロ野球チャンピオンシップ。
国際舞台の経験豊かな“切り札”は、3年後に向けていかなる戦いを目指すか。
Number939号(2017年11月9日発売)掲載の記事を全文掲載します!
オリンピックの思い出を語るとすれば、何度もフラッシュバックするあの光景しか思い浮かばない。
東京大会で復活する前に、野球が正式種目として採用された最後の大会となった2008年の北京五輪。予選リーグを4勝3敗と何とか4位で乗り切った星野仙一監督率いる日本代表は、準決勝でアジア最大のライバル・韓国と激突した。
試合は序盤に日本が2点を先行。しかし韓国も必死に食い下がって7回に同点に追いつく。そして迎えた8回だ。
「イ・スンヨプが決勝ホーマーを打ったんですね。僕はライトを守っていて、その打球が僕の頭の上を通過していった。あの光景をいまでも鮮明に覚えています」
この打球を見送った右翼手が、東京五輪で侍ジャパンを指揮する稲葉篤紀だったのだ。
「何と言うんですかね。こんな舞台であんなホームランが出るのかという……。オリンピックの怖さを知りました」
この回に4点を奪われ決勝に進出できなかった日本は、3位決定戦でも米国に敗れてメダルを逃した。それがいまのところオリンピックの野球で日本が残した、最後の記録である。
野球の1試合ってこんなに疲れるんだ。
「とにかく野球で金メダルを取るのが当たり前のような感じで、そこのプレッシャーが凄かった。特にその前の年に台湾でやったアジア最終予選の3試合は本当にきつかったのを覚えています。僕の中で特にその韓国戦は一番、長く感じました。野球の1試合ってこんなに疲れるんだって。それだけ毎回、毎打席、守備でも集中が途切れたことがなかったですね」
翌'09年の第2回、'13年の第3回ワールド・ベースボール・クラシックでも選手として代表入り。その後も小久保裕紀監督の下でコーチとして今春のWBCまで途切れることなく代表チームを見てきた。
その経験を買われて、東京での金メダルの切り札としての監督就任だった。