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内田篤人が指名した意外な重要人物。
夏の移籍も「憲剛さんに相談したの」。
posted2018/01/30 07:00
text by
了戒美子Yoshiko Ryokai
photograph by
AFLO
内田篤人が鹿島に戻って、早1カ月が経とうとしている。全てをかなぐり捨ててでも、もう一度活躍を誓う。そんな決意に満ちた移籍だ。
鹿島への恩返し、経験の還元ももちろんミッションとして抱えながら、内田は本気で、W杯メンバーに滑り込もうとしている。
しかし、だ。
思い返してみると'14年ブラジルW杯当時、コロンビア戦で日本の戦いが幕を閉じた直後、テレビ取材でも、ミックスゾーンでも内田は言っていなかっただろうか。
「(代表引退に関して)ずっと考えていた。人には言っていなかっただけ」
ハリルホジッチ監督就任以降は、最初のキリンチャレンジカップで招集され、出場したのみ。負傷とリハビリにほとんどの期間を費やしたのが理由ではあるが、一体どこで内田は代表入りを望むようになったのか。
なんとなくの気持ちはわからないでもないが、どこで大きく舵を切ったのか。Number944号のインタビューの際に尋ねてみた。
「やめたかった、って感じ、'14年の前までは。ってか、中村憲剛さんに聞いたらわかるよ。でも俺、ポイントポイントでしかケンゴさんとは話してないから……」
自分の心境の変化を一番知るのは中村憲剛だと言うのだ。だが、公私にわたり色々な話をする間柄ではなさそうだ。
移籍についても「実はね、憲剛さんに相談したの」。
「実はね、俺の中では結構キーパーソン。憲剛さん、サッカーうまいもん。岡田ジャパンの時はずーっと憲剛さんに話聞いてもらってたから。そういう流れがあって、電話してるの」
岡田ジャパン、つまり'10年南アフリカW杯の際、内田は直前までスタメンに入りながら本大会では外れて一度も出場できなかった。直前に負傷した中村憲剛も、出場はパラグアイ戦の45分弱にとどまり、ともに辛酸を舐めた仲間である。
内田は'17年夏、シャルケからウニオン・ベルリンに移籍が決まった際も「実はね、憲剛さんに相談したの」と言っていた。インタビュー原稿の執筆にあたり、内田がターニングポイントには必ず声を聞きたくなる相手、中村憲剛の元を訪ねることにした。